先回でポイントを数件挙げてみたのだが、ここ数日の不完全燃焼的事件を目の当たりにして、少々別方面に書く意欲を催したため、今回のみずれてみる。
当人(筆者ではない、以後は断らない)の決断が真っ当なものであるならば、これを読むことはあり得ないと思うが、経験上意識はしておく。付き合っていた相手と別れたいと言うとき、相手に対して、別れの行為を要求するのみに頼るのは、自己中心的である。別れたければ、その意志を自ら示すべきである。筆者は決して、未練を以ってこう論じているのではない。あくまでもここに記載する以上は、中道を貫かねばならない。少なくとも人情に対しては。
先日のメールにこんな記述がある。「別れたからっておめぇの自由になるわけじゃねぇんだよ。付き合った以上、どちらにも恩恵と不満の両方があるんだよ。」人間関係ってのはそういうものだ。重さはなくなっても、質量は残るんだよ。それが生きている意味だ。決して一方通行ではない。関係というものだ。常に相手があって、愛であろうが憎しみであろうが成立する。したがって別れるにも、ある程度の質量を持たずばなるまい。
何か方向性がずれてきたようにも思える。稿を改めよう。要するに、ここで言いたいのは、別れにも付き合いの結晶が存在するべきである、ということだ。二つの星があって、一つが超新星爆発を起こして消え行くのではなく、とみに分離していく。すなわち双方に動きがなければ、別れは成立し得ないのだ。
結:別れに努力せよ。一方的な要求は聞かない。【2004/09/24/PM】