南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

嫌韓と右翼の違い

Nanjai2004-10-28
 インターネットというのは、不特定多数の人間が(いや人が)交流する場である。それは性別・年齢・国籍・身体の如何を問わず平等であると同時に、自己責任が重要な条件を占める。たとえば、チャットはその代表とも言える。単なる寂しさの解消として訪れる者は、話すメンバーの一個人として揺らぎやすいため、攻撃されやすい面がある。もともと健全なる個を持ち得て、対等な会話を楽しむ為に訪れたものでさえ、非難や冒涜の声を覚悟の上で、存在せねばならない。それゆえ弱者は危険なのである。攻撃者も弱者ではあるのだが。
 前置きを相当長くしたのだが、要するに不特定多数の交流する場では、各々の属性は問われないと同時に、問わない中での礼儀を要するのである。しかし、傷つける弱者はこれを認識していない。実例をここでようやく取り上げるのだが、某チャットにおいて、韓国人(韓国居住)と話す機会があった。兵役の話から、彼が日本に居住したいという相談に至るまで、文化的違いも交えて話が進んだ。そこに飄々と「違いが嫌なら日本に来るな」を名乗るものが現れ、雰囲気崩壊、彼は退室。これが極一般の荒らしならば、彼に慣れてもらうより他無いが、右翼だ、と開き直る人種は、筆者が叩く価値を有する。
 表題嫌韓と付したが、韓国・朝鮮のみならず外国人に対する嫌悪感や蔑視は後を絶たない。それは、先に例示したような直接的なものから、電車の中で同席を避けたりするような間接的?なものまで幅や程度は広いが、日本人特有ともいえる現象である。特に韓国や中国に対しては、歴史観の認識の違いから反発をする日本人は、多数存在する。そうした排他感情をすべて、潜在的右翼感情(ナショナリズム)で片付けてよいものだろうか。右翼と排他主義を混同する日本人の悪例である。右翼とは、左翼に対峙する一極であり、それ相応の政策を持ちえているべきである。正当な根拠と構成の整った理論に基づく政策を背骨にもつ勢力こそが右翼であり、北朝鮮による拉致の被害者を帰せ、というような感情運動を起こす集団ではない。排他性・攻撃性を持つのではなく、むしろ愛国・護国・憂国論者こそが右翼の一端を担うはずである。
結:よしりん流「サヨク」に倣って、「ウヨク」という言葉も作るべき。【2004/10/28/PM】