南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

現実化するチャット(ネット世界)

Nanjai2004-11-10
 台湾は別として、近頃は裏社会にも潜入し、サンプルを取りつづけている。あの出会いから、5ヶ月。若き人の心、揺れる心を初めて見つめて、心理というものの深さを知った。いかに、人間一人一人が歪み、傷つき、しかもそれに気づかず、新たなる歪みや傷を生み出す原動力となっていくか。10代中心のサイトとは異なった、年齢制限のない世界で先月から調査を開始した。ここには、いわゆる「荒らし」と呼ばれるものに対する、各反応が乱れている。筆者は、「荒らし」のサンプルを取りつつ、友好的でかつ対等な会話を交わし、さらに心理工作で歪みを弱める活動および実験をしている。
 まず確認すべきことは、原則としてチャット社会は自己責任であること。心理的な弱みを持ったものが、雑多なこの世界へ入った際に、自らを防護するものは何者でもなく、自身であること。雑多な人種が存在する為、攻撃性や中傷行為は免れ得ぬ事象である、というよりは攻撃や中傷と捉える感性自体が、一分子に過ぎないということを認識するべきである。即ち、「荒らし」行為を追放せんとする活動や試みは、またある人にとっては基本的人権の冒涜と捉えることもできるわけである。いかに、確立した自己を持って参加しているかが、荒らしの存在自体を認めてゆく人間性の持ち主かを判断する基準となる。むしろ逆か。
 さて、以前書いたように、近頃は一つ事件の起こるたびに、顔の見えない社会に対する批判(むしろ非難)が殺到する。しかし、実際に中身を見ると、決してここでしか話せない、生きられない者だけが集まっているようには見えない。むしろ現実逃避をして発言しそこにだけ存在を求めようとする者は、排除されつつある。今年6月に起きた小学生の傷害事件も、いかにネットでの発言が現実社会に存在するかを示したものだった。決して顔の見えないことによる有毒な非現実世界から来る害なのではなく、現実化した証拠として現実に害を持ち始めるのだ。いわゆるオタクの温床として見られてきた闇社会が、いま利用者の拡大(様々な教育現場での普及に伴う)によって、オタク否知識人らの天下が侵害されつつあるのかもしれない。そうした変化に、我々新規参入者は気づくことがない。すべて対等であるべき世界に、こうした溝が発生するのは遺憾なことである。
結:自己ならずして、他を解せず、の証なのか?【2004/11/10/PM】