南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

吉備路の旅 1:往路・岡山

《前置き》
「みちのくの旅」編を書いてから、昨年末に行った岡山旅行について、まだ記していないことに気づき、改めて鉄道記録メモを基に書き起こしてみることにした。わずか2日間とはいえ、もぅ4ヶ月近くも前のことなので、鉄道のダイヤ記録と観光パンフレットのみから全体を書き出すには足らないところがあるかもしれない。補える記憶は極力引き出してみる。

《移動行程》
名古屋→岡山

《印象に残ったこと、その他諸々》
関西方面など、長距離外出の場合は原則として7時が出発時刻となる。もっとも電車の接続がよいからだ。さらに朝ごはんはきちんと家で食べられる。旅のスタートは健康的に。というのは、大学受験が終わった昨年3月に、受験疲れで体調を崩しかけたまま、姫路まで出かけてのちに高熱を出した経緯がある。すでに姫路行き(あるいは相生行きか播州赤穂行き)新快速で、もはや寝ることと食べることしかできないほど体がだるくなっていた。よくまぁあれで姫路城なんか観て、帰ることができたものだ。しかもあの前日、岡山に行くことを計画していて、出発直前の朝飯中に変更したのだから、呆れたものである。ということで、このとき行きそこなった岡山に、日帰りでなく一泊して観て来ようというのが今回の目的の一つであった。

名古屋の人間が、姫路まで(あるいは京都、大阪、神戸まで)日帰り観光に行ける最大の理由は、JR西日本米原(正確には長浜)〜播州赤穂間の新快速のおかげであるといっても過言ではない。もちろん、米原に達するまでのJR東海の特別快速の存在を忘れるわけではないが、俺的には圧倒的なスピード感と快速らしさを西日本新快速に感じる。おそらく東海道・山陽新幹線廃線になる最終日以外は、当新快速利用を選択するであろう。とにかくあれほどまでなスピードサービスを提供する鉄道会社に、まだ出会ったことが無い。一部の人が、「電車酔いになる」と訴えるような横揺れ。新幹線のような徹底した振動軽減対策を取ってないだけ、そのローカル感を保っていて、またすばらしいではないか。と、絶賛しながらひじ枕に仮眠している間に、琵琶湖畔をぶっ飛ばし、「お京阪」を横目に京都に入る。京都は行ったけど、大阪市内を観光したことはない。神戸もだ。一度行きたいと思いながら、近いし、都会だし敢えて行くことも無いか、みたいな後回し気分に押されてしまう。この冬か、春に、一度学研都市線に乗って、釜ヶ崎に行って見よう、という計画があった。むろん、こんな計画、半端に人にバラせないので、なんとかして表向きの名目を探している。

11時過ぎに姫路到着。小腹がすいてきたので、何か旨そうなものを探してアーケード街に入る。もぅ姫路は3度目なので、ある程度慣れた街区。前にも昼ごはんを探して歩いたが、簡単に食べれそうな店が無いのが、ここ姫路。それを思い出し、山陽電鉄の駅に向かう。いつも駅北に出てしまうので、なかなか山陽電鉄の電車にお目にかかれない。あんまり出歩くと乗り換えにおくれるので、この辺で切りやめ。

姫路が最西端の俺は、物珍しげに先頭車両へ。ヘッドに立っていると、空腹が増してくる。相生で手早く足早く乗り換え、播州赤穂で途中下車という、訳分からんタイムプラン。まぁとにかく、ゆっくり行こう、みたいな感じで、30分間赤穂に滞在。ここでも肉まんかお好み焼きでも売ってないかな、とウロウロ。小柄なショッピングセンターの脇に、お好み焼き屋はあったけど、人出が少ないのでなんか煩わしくて止めた。観光でもしてみるか、と案内図を頼りに赤穂市街へ。お城通り交差点の角に、「息継ぎ井戸」というものがある。ここら一帯は武家屋敷なんかが立ち並ぶ街区で、この井戸は上水道の一環らしい。詳しくは、赤穂観光協会へ。というのが、駅から往復20分の観光範囲です。乗り換えの際などに、どうぞ。

ここからは一路岡山へ。新快速以来の窓際安定着席権獲得。お弁当を広げ、ゆったり赤穂線モード。途中、日生駅で、小豆島へ渡るフェリーの港に接続していた。赤穂線だってそれほど列車は多くないわけで、列車と船が連絡されていることから、乗り換え客のみならず、この先岡山方面に行く乗客なんかも途中下車して、港を見に行ったりした。俺も御握りを咥えながらホームに降りて、対向電車が来るまで港や海を眺めていた。綺麗な海面と港に停泊する漁船の群れ、わずかな距離で対顔する島の影。お昼時のいいオカズだ。ここから一旦海を離れるけれども、天気もよくて昼時なので気分がいい。当然眠くなる。したがって、伊部辺りから、一時は途中下車をも計画していた西大寺付近の記憶が無い。朝が多少早かったため、転寝に浸ってしまった模様。東岡山で目覚める。一瞬、乗り過ごしたかと思った。この電車は、備中高梁行き(だったと思う←改正前)。

14時僅か前、岡山到着!懐かしいですねぇ。高校の修学旅行で、新幹線を降り立ったのも岡山でした。このときは、すぐに琴平行き両備観光バスに乗り換えてしまったので、あまり駅の面影を記憶していない。やっぱり大都市の駅だけあって、地下街とかもある程度見られる。その地下街をゴソゴソ抜けて、東側の歩道にひょっこり出ると、路面電車が停まっていた。おぉ、岡山は市電の街だったのか。先にも述べたとおり、修学旅行では岡山は素通り状態だったので、まったく知らなかった。岐阜の市電と違って、走行路もしっかり車道と分けられていて、システムが十分だ。そんな電車を何輌も眺めながら、東へ東へメインストリートを歩いて、岡山城・後楽園に向かう。大雑把な観光絵地図を見ながら、少々マイナーな観光スポットを確認して見ようと試みたが、分かりにくすぎた。後楽園の北側にあった、〔夢二郷土美術館〕は休館。寂しげだった。

とりあえずメインのモノが見られれば、ということで後楽園到着。岡山城とのセットで520円。ここで、岡山市内観光の必需品?「カルチャーゾーン」パンフレットを入手。後楽園に入り、ベンチ、ではなくて便器(腹痛のため)に座って、パンフレットに掲載された観光施設を調べる。ところが、今はいわゆる年末。なんと岡山城と後楽園以外の全部が、28日から休館に入っていた。愕然。さらに、岡山城も29日から休館。年中無休は後楽園のみでした。岡山観光を初日にしておいてよかった。岡山城まで失うところだった。ちなみに、今回宿泊のユースホステルも、年末年始の休館があるかも、と予約が取れるかどうか非常に悩んだものだが、うまくいった。そんなわけで、時間的にもこの2つしか参れないだろうということで、充分楽しんでいくことにした。トイレを出るや否や、黍団子とお茶を勧められ、おやつに。スタートからかなり行動を制限されてしまったけれども、このときはとても落ち着いた気分になった。お茶をもう一杯勧められて、ご馳走になる。ところで黍団子って、後楽園名物だったんですねぇ。知らなかった。庭園というと、名古屋の白鳥庭園とか、広島の縮景園とか、あまり知られていないところしか行ったことが無い。後楽園というのは、全国三大名園に入るような処だそうだから、名誉なことだ。年末ということもあってか、そんなに人が多くもなく、少なくもない。庭園というのは、如何にして散策するのか分からなかったが、それなりの雰囲気を出して見た。さて、もうそろそろ出て、岡山城に移動しようかと思って、手に持っていた観光地図と共通券を見たとき、表情は驚愕へと変わった。共通券をどこかで落としたらしいのである。もちろん落としたとすれば、庭園内でしか有り得ないのだが、何せ三大名園とあって結構広い。しかし、岡山城見学料も既に払ってある証拠の、大事な共通券である。もと来た園路を半分くらい辿ってみた。見つからない。ふと、幼い姉弟と母親がこっちに歩いてくる。なぜか、姉のほうが半券を二枚持っている。あれ?俺のを拾った?弟分も自分で半券を持っているので、やはり怪しい。が、突然声をかけるのも訝しいだろうと思って、声も手も出ず。幼い子供に疑いをかけるのも、気が引ける。旅先に多少のハプニングは仕方がない、ということで諦めた。

岡山城は入館300円。後楽園のみだと350円なので、差し引き130円の損害。うぬぅ。しかも捜査でタイムロスしており、城見学の時間が削られておる。この場内資料館は、築城(城の仕組み)から、戦国・江戸時代の岡山地域の歴史、城との係わり、最後には文化紹介が展示されている。まず天守に登り、日暮れ時の岡山市街を眺める。西を見れば、岡山駅と歩いてきた町並み。北を見れば後楽園。南と東は初めての風景。中東部を流れる旭川の煌めき。岡山城の守備防衛の半分は、この旭川が担っている。全国各地の城の写真が展示されたコーナーで、松本城とか清洲城とか行ったの行ってないのを思いながら眺めていると、
「私、愛知に住んでるのに、名古屋城とか一度も行ったことがない」
などと話している、女性二人組を見かける。高校生ぐらいと見た。何、愛知?俺も愛知やんけ。しかも名古屋やんけ。ちなみに俺は小学校1年の遠足で、一回コッキリ名古屋城に入ったことがある。それでも経験は経験だ。随分と話しかけたい衝動に駆られたが、なんとなく恥ずかしいのでストーカーモードに。今年最後の入館者として、熱心に見学しつつも、耳はなぜか彼女らの方を向いていたのでありました。徳川家康がなんだとか、結構郷土の英傑について知らなかったとか、話していた。帰り際に、岡山県の観光案内コーナーで、「足守物語」というガイドブックを入手。明日の吉備史跡巡りに役立ちそうだったので。本年最後の見学者が退館すると、外は真っ暗に近かった。

しばらく例の二人を追って、旭川の堤防をぼんやりと歩く。実は後楽園のパンフレットを記念に手に入れるのを忘れてしまったので、わざわざ取りに行くという目的があった。まぁ5時過ぎでもあって、入場券売り場はシャッターが閉まっていた。敢え無く諦めて、ホステルの夕飯を美味しく頂くために、また旭川の畔を歩いて運動。途中で、ふと岡山駅からホステルまで距離があるのに気づいて、慌てて西へ向かう。歩いては間に合わないのと、一度乗ってみたかったのと両方の理由で、城下から岡山駅前まで岡山電気軌道を利用。100円ってめっちゃ安いじゃん。こりゃ道理で、庶民の足として生きていける訳だわ。地下道からホームに出られるので、信号待ちをしていて電車が行ってしまうような虚しい惨事は起こらない。古めかしいチンチン電車然とした、趣ある電車だったけど、さすがに退勤時間帯だけに満員。岡山駅前で、地下道直結ホームに降ろされるまで免れられなかった。駅構内の混雑を避けられるように造られた、駅東西連絡通路をのしのし歩いて、駅西へ。名古屋と似たように、駅東は盛大な繁華街と市の中核が広がっているが、西はいわば駅裏。幾分風俗街があって、多少オフィスがあって、少し歩くと何とも2,30年くらい昔に遡ったような盛況なアーケード街の道。肉屋とか魚屋とか八百屋なんて、本当に真剣に繁盛している店がこの世にまだあるんだねぇ。新鮮さがあふれる店並みを適度に眺めながら西方へ。明日朝もここを通って駅に向かうんだと思うと、なんだか楽しみだ。商店街というのは、朝が一番威勢がよくて楽しい。それにしても長い一本のアーケード街。極力無くして欲しくない逸品。ユースホステルガイドブックを家に置いてきてしまった(親が連絡先を見たいというので)為、正確な道が分からない。駅西の案内板に表示があったので、それだけが頼りだ。商店街を抜けると、普通の住宅街。その中に、一見アパートに見えるような、しかししっかりした木造のユースホステルがあった。

岡山県青年会館ユースホステル到着。YH(ユースホステルの省略形)って、こういう所なのか、と思う間もなく、チェックイン手続きへ。寒い外から暖かなアットホーム空間へ入ったので、体が火照ってまともに文字が書けない。一行ずれたとか指摘されながら、何とかレシートをもらって部屋に案内される。すぐに食事なので、お風呂は後に入るよう勧められ、受諾。荷物を置いて、トイレに行ったりしながらYH内散策。館内を走り回る外国人の幼い少女2人に出くわす。お互いに、戸惑い。片言の英語でも話せばよかったかの?

そんな彼女らを含めた7人で夕食。前日から泊まっているという男性と、外国人の5人家族(娘3人)。ホステルながら夕食を期待していたら、やっぱり1000円に該当するものだった。それでも岡山名産の「ままかり」が出ていて、もうご飯が止まりません。美味しくて、お土産に決定しました。食べながら、日本人男性と、「この家族はナニ人だろうか」と話し合っているうちに、ちょっと聞いてみようということで、ささやかな国際交流になった。英語じゃないことはすぐに分かったんだが、俺はドイツ、彼はフランスということで割れた。答えは、フランス。現在は東京に住んでいて、年末の休暇を利用して、車で全国を廻っているそうだ。すでに伊勢や京都もいったそうだ。家族のうち、お父さんは中程度くらい日本語ができる。残りはみんな片言だ。お膳を持って部屋を出ようとするお母さんに、扉を開けてあげたら、日本語で「ありがとう」といってくれたのがうれしかったな。ただ残念なことに、あの頃はスマトラ津波の直後で、日本もだけどヨーロッパ各国の観光者が犠牲になっているだけに、テレビの報道に注視せざるを得なかったのがお互いつらかった。管理人さんが、テレビの言語設定を英語に変えたので、ちょっとした語学勉強にもなったんだけど。

そうして、片言日本語と英語で交流し、紅茶を飲んだりして、ゆっくり。少し冷めてはいたけれど、お風呂にも入れて、YHとはこんな宿泊なんだ、会員になってもいいな、と感じた。夕飯をとらない旅行者が4,5人来て、21時くらいでほぼ揃った。俺も今夜は一人か、と思いきや、男性一人と同室に。あまり話さなかったが、これがホステルの相部屋スタイルか、と実感。彼が夜中に起きだして、闇の中でカバンをごそごそやられたのには、頭を抱えたが、他人同士の旅の一こまだからな。ま、一部屋存分使えるYH泊も一度出会えたらいいな、と思ったのも事実だけど。これは東北で成功している。

つづく