南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

謹賀新年

Nanjai2005-01-09
 新年あけましておめでとうございます。本年も凶刃的狂言をよろしくお願いいたします。
 こうした挨拶も含めて、大学の冬休み期間中徹底的に遊びほうけて、まさに一稿も書かなかったのは大変恥ずかしい話であるが、知識や思考はともかくとして、経験は充実した気がしている。しかし、台湾論や極秘研究である朝鮮研究に関する書籍を一読もせずに、明後日冬休みが明けるのは非常に愚かしい問題であるので、至急書を漁ることにする。今回は、今月当ページ開設一周年を迎えるに当たって、凶刃的狂言の系譜を眺めてみる。
 尤も、これまで公開されてきた各稿は、一昨年前の9月より書き溜められた、「世の中のあらゆる出来事に対する筆者の不満や意見を書き散らす」ファイルであった。それは、世の常識を出来る限り逸脱し、新たな視点から世の構造を暴きだすこと、そしてそれを自らの言葉で表現すること、を目的としていた。その内容は、同ファイルを公開するに至ってから、小林よしのり著作に対する批判文や日本の政治構造論、アメリカ一極主義批判論等に絞られてきた。また、昨年夏には、インターネット上での会話「チャット」を題材にした稿もいくつか発表し、公の世界だけでなく、私の世界、心の世界も読み取ろうと試みた。
 いかに読者が筆者の意向を読み取っているか、定かではないが、基本的な大原則は当方で定めているつもりである。台湾論研究報告では、多少の新知識や発見、思考により原則とずれることもある。それは、過程を踏む上で致し方ないことである。大原則に関しては、次稿参照。
 今後も多少の変化を伴いながら、時事刻々と刻まれる社会現象に随時対応していく所存である。
結:名言・名案は閃いたときに書くべし、話すべし、唱えるべし。【2005/01/09/PM】