南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

成人式

Nanjai2005-01-11
 日頃、暴れる新成人を傍観して、喝を入れてやらんと欲していた筆者はどこへやら。厳かに式典を見守ったのは、君が代斉唱のみであった。というのは甚だ大袈裟な表現であるが、ざわめく会場に対して壇上に駆け上り、叱責するような極秘計画は見事に破算となっていた。筆者も新成人当人になってみると、あの式典を整然と受け留める人間から、寧ろ人生に一度しかない成人の日を楽しむ獣と化しているのかもしれない。
 ちなみに筆者が出席した名古屋市H区の成人式では、区長をはじめとする区内の有力者、地方議員(国会議員は不在)、各委員会役員が来賓として出席していた。松原武久市長の代読はあったが、河村たかし衆院議員−市長選出馬断念−は呼ばれなかった模様。明らかに同区出身在住かつ事務所もある河村氏が招かれなかったのは、松原政権の各区への徹底した施策が及んでいると見られる。区長は市民(区民)の直接選挙で選出されるのではなく、公務員の配分であるから、名古屋市には女性区長は一名(全16区中)しか存在しない。区それぞれが自治性を持つのは非常に困難である。河村氏が、現職の松原氏と民主党推薦を争うことになった経緯も含めて、市長と同列に並ぶ成人式は避けたかったのであろうか。
 また、改まった成人式といえば、欠かすことのできない日の丸掲揚と国歌斉唱である。和太鼓の熱演(毎年これらしい)で始まった式典(初めのほうは「集い」と称する)では、まさか新成人の奇行を意識して、統一国家建設の理念を感じさせるようなことは避けたのかと思えば、実際そうでもなかった。緞帳が2度目に上がると、白き四辺形に赤々と燃えるような大和日本統一の象徴たる陽が浮かび上がった。「国歌斉唱!」の司会指示あらば、壇上の出席者、筆者に引き続き新成人の8割が起立し、国旗を注目した。区内新成人出席者400数名の中では、最速で反応したつもりである。仰々しく大声を張り上げて歌うものも含めて、国歌冒瀆の如何を為す者もあれど、歌わぬものは比較的少なかったと見える。国歌総動員に暴力が蔓延し思想・信仰の自由が奪われてはならないが、ある程度の強制があってこそ、国を知り、誇りを持つ刺激になるのではないかと考える。国旗及び国歌はその一例であると、筆者は考える。
結:傍観論と体験論は、差異ある模様。【2005/01/11/PM】