南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

「憲法」試験にて―憲法講に関する第一弾と第二弾の間の余興

Nanjai2005-01-21
 本日、試験期間が幕を開け、昨日友人に言われたように「レポートを3つ残したまま試験期間突入」となった。初日の試験は、「アメリカの外交」と「憲法」であった。資料といわれた英文を熟読していかなかったため、アメリカの外交はかなり手こずったものの、センター試験対策で鍛えた世界史の力は衰えていなかった模様。しかし、残念なことに試験時間が足らず、日米間の問題に関する設問に手をつけられなかったことが悔やまれる。
 それはともかくとして、憲法である。なんと簡単だったことか。あいた口がふさがったのは、試験会場を出てからであった。設問は一題だけ。政教分離であった。まさかこれだけは出ぬだろうと、まじめに全11回分の講義メモを押さえて臨んだのにもかかわらず、政教分離であった。これで筆者は、講義中のレポート2つおよび試験をすべて政教分離で染め上げる結果となった。特に2回目のレポートなどは、4つの講義内容のうち一つを選択して、概要と感想をまとめるという課題であったが、試験では政教分離以外(選択制を予想していた)を選ぶつもりで敢えてレポートテーマを政教分離に設定したにも関わらず、当ては外れた。したがって、試験で書いた内容はほとんどレポートで書いたものと同じなので、筆者はコピーを提示したようなものである。一方では、レポートが試験勉強であり、効果があったともいえるが、斯くまで政教分離にこだわる学生もどうかと教授が考えるのではないかと、成績に響かないか心配ではある。(レポート本文は、字数修正の後、当ページで公開予定)
 レポートでは、講義内容と感想であったが、試験では〔憲法論を踏まえ、判例を検討した上で自分の意見を論じろ〕となっていたので、感想と意見は多少異ならせておいた。というか、試験では行数がかなり問われるところなので、意見を2つ書いた。憲法論や判例に関しては、レモンテストの項目に虚覚えがあったものの、言葉の綾で誤魔化しに成功。
 筆者が言うところの政教分離問題は、戦後の極端な宗教回避、政教乖離のみならず「民」教乖離が生み出す歪みである。神道などの日本古来の宗教について知らされていない者達、そして政教一致の社会で虐げられてきた人々の宗教に対する無知と恐怖、政府への疑心が作り出している。
結:宗教の公的な関わりは大衆扇動のためでなければ許容されるべき。【2005/01/21/PM】