南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

講義資料とか何とか

〔後日注:これは南蛇井総本気が無知科学論講座と称していた時期、講義として書いたものである。言葉は非常に乱雑だが、趣旨としては概ね現行の「ほんねとーく」に繋がってゆくものと考えられるので同カテゴリに含める。〕


なんか自分でもつまらん書き物始めたなと思い始めるのが三日目ぐらいだね。皆さん、こんにちは。なんかとにかく書きたいなっていう自己満足なんだから、誰も読まなくたって書いてやるくらいの勢いがなくちゃダメだね。高校でプレゼンテーションやった時だって、自分のやりたいテーマで、持論で頭ん中完全に洗脳しておいて、教室が唖然となるまでガンガンやってたら、あっという間に50分なんて過ぎるもんさ。今だって、アトで紹介するけど社会事情について色々書いてるページがあるんだけど、字数制限が1000字なのにワードで打ってたら簡単に2000字逝っちまう。大学のレポートなんかとは大違いで推敲なんて画数の多い漢字が出てくるわけだ。レポートだと言いたくもない、むしろおべっかじゃねぇかっていうような事書かないと字数が稼げないのは誰でも知ってる話だ。もちろん19歳でベストセラー書くような文学賞作家なら別だけども。人間モノ書きたいときは、熱意がなくちゃダメだね。そいから勢い。あとは、背骨がなくっちゃ。それと書いてるうちになんか自分が迷ってくるようなときは、しゃべるのも書くのもズばっとストップして消しちまうこと。過程なんて問題sじゃない。怒涛だね、ドトーーーーーー

講義だってそうなんだよ。教師だって一々なんだっけな教科書ガイドとか見てやってるわけじゃない。年取ってくると年期が入ってくるとドトーになるわヶよ。あぁいい例が小林よしりんの漫画ね。あれなんかすっげぇドトー。もぅ見てて愛国心バリバリだね(別方向
とにかく教師って奴は、あの小指のつめの先くらいだけ内容把握しててあとはドトーに任せちまうんだろうなって今俺は気付いたのさ。それとドトーと同時にもぅ一個プレゼンに欠かせないのが、どっちかっていうと自分で悦に入ってるような声色を使うことさね。この手法は河合で学んだ。っていっても塾生じゃないのであしからず。南蛇井はすってんてんのケチであるから会員にはならないで、河合塾の夏期講習とかだけ参加して、ドトーと悦弁だけお勉キョしてきた。そしてスグ実践。勢いがないと呟きにしか聞こえないが、ドトーはなんつってもジェスチャーが出るゎ、黒板は使うゎ、冗句もでる。あっ、英語をそのまま漢字に出来るジョークっていいね。ジョーク=冗句。

っと流れに任せてまたドトーをやってたら、テーマを忘れてしまった。講義資料だったね。資料なんて粋な表現使わんでも、要するにコーコクだょ、コーコク。皇国じゃないょ。これは「みくに」と読むんであって、建国記念の日に合わせて覚えておきな。それじゃまた来週、さようなら(秋山仁

凶刃的狂言→読んどけ(任意