南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

暴(妄?)言を吐いてやる

Nanjai2005-02-16
 先週、新たに「無知科学論講座」という、「凶刃的狂言」の解説用と雑学放出を兼ねたページを開設した。こちらの論稿にて質問等があれば、取り上げたいとも思うのだが、今回は逆に同ページで取り上げた内容の一部をアレンジしてみようと思う。それは先日大阪寝屋川の小学校で起きた教諭殺傷事件である。これを筆者は『聖バレンタインデーの虐殺・現代版』と名づけた。事実かどうか定かではないが、犯行に及んだ17歳は、同小学校在籍時にいじめをうけたが、担任教師や学校から相応の対応をしてもらえなかったことを恨みにもっていたと供述している。これに対し、担任教諭はそのような事実はなかったと否定しているが、17歳の小学生当時は即ち筆者の小中学生時とさほど変わりない。いわゆる筆者の親世代とは異なって、人間関係の歪が非常に陰湿化している時期なのだ。人権問題、ジェンダー問題に対する神経が尖り、多少のことでも裁判に持ち込める環境となった。非行問題、経済格差、学力重視などで人間がシンプルに分別され、憲法下での平等を詠う裏で上下の差でなく溝による「差」が際立ち始めている。いまや、小学校の中学年程度から大人社会の歪を既に持ちえる時代が作られていると思われる。見えないのは、教師失格だ。もっと現実社会で生きろ。教師こそ現実をなめている。17歳は、劣等感ではなく、平面に立ちはだかる壁か溝に隔絶された孤独を、「恨み」の形でしか言葉に出来なかっただけなのだ。
 最近は、インターネットでも逃避できない。それは、インターネットが今や一般人の常識的アイテムと化したからだ。新しい世界には必ず希望がある。宇宙開発が其の例だ。ところがインターネットを利用した社会(世界)にも、既に陰湿な空間が浸透している。いや、希望や感動を呼ぶ前に陰湿感が定着しているのだ。これを聞いた多くの方々は、もっとリアルな空間に戻れとか、バーチャル人間は異常で犯罪予備軍だとか弁ずるのだろう。また、今回のような事件後には必ずといっていいほど、犯罪者や予備軍への「心のケア」を詠う。筆者は明確に申し上げる。絶対無効だ。異常を正常に変えようとする工作行為だ。決してそんな工作で改心してはならないし、することはない。自分こそ、現実を正確に性格に反映した栄誉ある人間だと思うべきだ。
結:集団を生き抜ける者に、現実は分かるまい。一度、社会的立場を捨ててみろ。【2005/02/16/PM】