日ごろ、文字列で遊ぶことが多い。たとえばチャットなんかで興味深いHNを使っている方があると、その文字列を弄んでいるうちに相手がキレだして面倒なことになる。多少偏向的な愛着があっても、それはただの文字列に過ぎない。むしろ些細なことから話題を持ち出すことのほうが遥かに好意的だと思われる。なぜならいつも自分の話したい内容ばかりに囚われ、自分の視野や生活範囲を狭めてしまうのは自分の人生のみならず人間関係をもつまらなくするからだ。という格言みたいな主張は、『上司は思いつきでものを言う』橋本治/著の隣に配架されていた題名を思い出せない書籍より割愛(正文館にて)。秋学期の「現代社会における共生と言語」という科目で、取り上げてもよかったような書である。無念。
松坂屋か丸栄かレジャックかラシックか、とにかく分からないけれど、サンシャインという言葉が、新聞の折り込み広告に載っている。あの紙というのが学校で用いられる藁半紙ではなく質のよすぎる紙の為、古くから馴染みである更年期に差し掛かった新聞配達人と母親のそれぞれの広告応戦にはツクヅク感服させられる。新聞に載るということは、犯罪を犯すか、寝煙草をするか、あるいは特異な才能を発揮せねば容易ではないが、母親は折り込み広告と新聞紙を縛るために、新聞にノることを余儀なくされている。
それでも逸れた話題を話す俺も結構な任務だ。紙面が必要ないので、母親や配達人を困らせることがない。サンシャインなどという下らないテーマについて、だらだらと書いておればよいのだから。サンシャインを英語表記すると、SUNSHINEとなり、英語表記とはすなわちアルファベート化であり、それは即ちローマ字化である。ローマ字ならローマ字で読んでやろう。「スンシネ」。もぅあなたは「スンシネ」としか読めない。騙し絵と同じ原理だ。二つのワイングラスにしか見えなかった絵が、ふと見方を教えられるや否や、人の顔が浮かび上がってくる。そんな騙し絵を思い出してくれるだろうか。「スンシネ」に漢字を当てると「寸死ね」。なかなか意味が通るぞ。寸は即ち「すぐ」という意味だ。かの冗句(joke)に従えば、寸(soon)が容易に出てこないだろうか。これはオマケ。オマケも発展させると、Soon die.と、「寸死ね」を再英語化して、さらに日本語読みすると駿台で某予備校名になる。まだ終わらない。この駿(すん)の字は、アニメ映画監督の名にもあるように、【はやお】とも読む。つまり、この字は部首からも分かるように馬などが速いことを表すのだ。だから、寸と駿はかなり近い意味合いを持った漢字なのである。
南蛇井様、大変空腹のため講義はここまでとする。それでは亦た次回。