南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

ひらなみと南セントレアがさらに夢想すると

北名古屋市になる。(汚肥やし)

冗談じゃない。暴走族のチーム名じゃないんだぞ。我が尾張地区のゾクの方々に大変失礼な発言も出るかもしれないが、ここでちょこっと暴れてみよう。ここはなんにせよ、俺の暴れ場所だ。文句があるなら同道といいたまえ。

信州県にするとかしないとか、一時期話題になった。長野は「信濃」の方が馴染みなんだそうだ。愛知のどこそこにも「品野」という地名があるのは、おそらく信濃方面の山々に似た地域か、御岳の見える場所なんだろう。この辺は、無知科学論的推理。信濃と言えば、多少古いドラマだけども『大地の子』で、主人公陸一心が日本に出張して富士山を訪れた際、幼い頃満州の地で「シナノフジ」なるものに家族で拍手をして拝んだ記憶を甦らせる。富士というのは、日本人が生活の中に神として崇めたがるものの象徴なのだ。それが各地域にそれぞれの名をもって(たとえば信濃富士、尾張富士など)地元の団結、連帯感を生み出している。富士は、地元に限らず、全国民の連帯の象徴だ。たとえば、ゾクも大晦日から正月にかけて、富士山ろくに集結するという大イベントを敢行する。広域指定暴力団への将来の加入を前提とした、神道への肩入れの予行演習かもしれない。富士に宿る神は、大変な威光を示しておられる。

前回も論じたけれども、言葉っていうのは広く知れ渡って、口で言い慣らされると、その価値は堕落する。南セントレアとか西東京とか在り来たりの言葉を含んだ命名は、その地に居住する人の地元意識をより腐らせる。暴走族だって、自分たちの血ー武名がいかに貴く誇らしいものであるが為に、俺たちのような一般人はその名を知ることなくこの世を去っていくほど、価値の高いものなのだろう。彼らの言葉には、以外にも芸術性が備わっていることを、警察関係者共々感じ取っていただきたい。などと偉そうに、一般人だかあっちの関係者だか分からないような話し方をしてみた。これもオレ流。

ちなみに夢想家の俺は、自分で居住地域の暴走族名を考えて創作してみたりしている。尾張海浜狂走連合なんてのは、英語に直すとOwari Harbor Madriders Unionで、頭文字をなぞるとOHMU(オウム)と、新興宗教団体の旧名のようになって多少芸術みがあるなと悦にいっている。尾張地区南部を縄張りとする広域チームだ。この辺りは関係者にブち殺されかねないので、あくまでも想像の域を出ないように気をつけて、ここで終う。また機会があれば、後日。

地元エゴと吠える方がある。中国では文革時代、走資派や修正派の役人たちの名を、漢字を逆さまにしたり倒したりして表記し、侮蔑した。名は魂のみならず、命となるときもある。命名を誤ることで、ある人間の生存権を剥奪したり、社会的地位を奪ったりするかもしれない。少なくとも、憲法25条(だっけ?)の「健康で文化的な最低限度の生活」の【文化的】の項目を欠落させる恐れは無きにしも非ず。でヶぇ言葉で言うならば、「国家の下に人があるのではなく、人が集まって国家となる。国家の下にあるのは国民であって、人ではない。」スケールがでかすぎたかな。要するに、地方分権?(地方に出来ることは地方に)をすすめるならば、もう少し市町村の行政単位がでかくないと、できないよってことでこの大合併が奨励されてるんだけど、それは国家事業であって、人間の望んでることじゃないよっていう話。

今日から、東北視察(プリンシェイク調査)の名目で、1週間程度休講にいたします。あしからず。ばいなら。


〔後日注:これは南蛇井総本気が無知科学論講座と称していた時期、講義として書いたものである。言葉は非常に乱雑だが、趣旨としては概ね現行の「ほんねとーく」に繋がってゆくものと考えられるので同カテゴリに含める。〕