南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

みちのくの旅 5:水戸・常磐線後半

東北旅行第五日目
《主な移動行程》
平YH→いわき湯本→大甕→水戸→東京
《印象に残ったこと、その他諸々》
コンクリートの独房のような女性用の一室で、プーさん枕に目を覚ますと7時。かすかに海の音がする。コンビニのおにぎり2個という、この旅で最も貧弱な朝食を取り身支度。「おはようございます」という管理人さんの声がして、本日の開館。かなり若そうな男性の東北弁が聞こえる。福島の南端でもまだ東北弁だ。8時40分頃出発。玄関先で団欒している管理人夫婦と近所の方に声をかける。もしかして先の東北弁の男性は、夫の方だった?随分なおじいさんだぜ。若く聞こえたよ、貴方の声。なんか、ここのYH管理を退くとか話していた。

まず駅とは逆方向の海に向かう。太平洋を真東に眺めて、狭い砂浜と打ち寄せる波に、やっと常磐線に乗ってきた価値を見出した。何せ花巻・平泉と山あいの宿泊が続いていたので、敢えて東北本線でなく常磐線を選んだのは海を見るためだったのだ。昨夜真っ暗の中歩いた道を真西に黙々と歩く。さすがにおにぎり二個は厳しかったが、ここで不平を言っても国道までコンビニは無い。最後は列車に間に合うため、気合状態に。下りホームに、知的障害者の制服姿(どこかの入学式だろうか?)が多く集まっていたのは不思議だった。一つ乗って終点のいわき駅で、ダブルに押されて醜くなった本日の印を見せて改札を出る。親への連絡のほかは、スタンプを押して時間つぶし。

せっかく福島県、そしていわき市に宿泊しながら、何も観光しないで去るのは、あまりにも惜しいというか勿体無い。そこで、駅ホームにも温泉が沸くという湯本駅で下車。日帰り温泉施設さはこの湯で、入浴していく。さすがに10時頃では観光客も少なく、どうも地元住民が多く入っていた。鼻を突くような硫黄臭は温泉を思わせたが、大多数が地元らしいお爺さんや親父さんで埋められた岩風呂に入るのは少々抵抗があった。それでも花巻で入った東和温泉よりは熱くないので、だいぶゆっくりして、脱衣所にタオルや靴下を忘れて取りに戻ったりしながら電車ギリギリまで湯本で過ごした。あとで気付いたが、タオルを乾かす場所はもう移動中にしかないんだということ。なんとか水戸までに大方乾いてもらった。このあと予定していた県境の「勿来の関」へ行く計画は、4日間の疲れを考えて、取りやめた。

さて、今回常磐線に乗った目的はいくつかある。一つは先も言ったように「海を眺めること。」次に、「海鮮料理を食べること。」さらに、「廃線前の日立電鉄を見るか乗車すること。」そしてもちろん「常磐線を制覇すること。」また、付随でもあるけれど、「水戸を観光すること」「霞ヶ浦を見ること」。これらのうち達成できなかったのは、霞ヶ浦だけである。霞ヶ浦通過時は夜9時頃で真っ暗だった。昨夜の夕飯で、常磐線の某駅に途中下車して、魚介類を食べるつもりだったが、平泉の延長で失敗。それでなくとも、早めにいわきに着いておく必要があったため、夕飯の余裕はなかなか無かった。そこで、この日港町か海に近い大きな町で降りて、海の物を昼食にすることにした。日立電鉄との交点でもある大甕(おおみか)で下車。表通りを歩いているうちに、言いようの無い空腹でめまいがした。しかし、求めるような食べ物屋がない。そのまま海岸に出てしまった。浜の食堂は休業。まったく、寂しいものだ。水戸行きの乗車時間は迫ってくる。飲み屋風の店で、取れたての魚を扱ったランチメニューを発見。入ろうか、入るまいかためらい、店の前をウロウロ。結局飲み屋には抵抗があった。諦めて駅に向かう。駅ロータリーに入ろうとしたとき、表通りの看板に割烹 藤一という名を発見。途端に、予定の電車を諦め、その店に懸ける事にした。仙台で初めに泊まった道中庵YHに似た造りの和風の店。威勢のいい親父さんの魚を捌く姿に迎えられ、ただの飲み屋や一般食堂とも一味違った、心地よい料理店であった。天麩羅・煮魚・刺身のどれか一種とお食事で700円。全く俺の望みどおりのスタイル。おまけにサービスで食後にコーヒーを出してくれる(東北の方は親切だ−パート7)。もぅ、電車なんかどうでもいいと思うほど満足した。割烹 藤一さま、ご馳走様です。

無事水戸に入る前に昼食を済ませ、この旅の最終観光地に到着。なぜか水戸だけは、観光マップを手にせず歩き出した。おかげで幾つかトラブルも発生。まずは、駅から歩いて15分ほどの弘道館水戸城へ。弘道館とは、水戸藩の藩校?だ。江戸期の学問に関する資料が並んでいる。そこそこ難しいので、ざぁっーと眺める。再び水戸駅に戻り、徳川博物館へ行くバスを探すも、そんな停留所名はないらしく、しばらく迷い続ける。仕方なく、偕楽園まで行って改めて探すことにし、適当に偕楽園行きのバスに乗車。途中、偕楽園YHの前を通過。ある計画では、ここの宿泊も予定していた。偕楽園に着いたが、徳川博物館の方角などさっぱり分からぬ。諦めて、バス停を一つ戻り、県立歴史館へ。これは、要するに市博物館みたいなものだ。特別展で、俺のPCにある戦国史ゲームでお馴染みの佐竹氏が取り上げられており、また戦国史に耽ってしまう。伊達政宗とも再会、常陸の国から見た別視点の東北史観を味わう。常設展は主に水戸黄門こと徳川光圀に関するものが多かった。5時ギリギリまで楽しんで、偕楽園に向かう。

もぅ日も暮れかかり、店じまいの始まった露店に、今更団子をくれとも言えず、眺めて素通り。これがいけなかった。しばらく梅を眺めているうちに、お腹がすいてきた。ちなみに梅はとても綺麗で、枝垂れも含めて随分いい頃に来たものだと思った。3月10日は「みとの日」でもあり、またタイムリー。などと楽しんでいるうちに、足元が暗くなり、同時に耐えられないほどの空腹が襲ってきた。常磐線の線路沿いに出てしまい、どこが出口かも分からず、何度も道に座り込んでしまう。何も食べるものを持っていない上に、偕楽園周辺はコンビニらしいものが見当たらない。なんとか、JRの偕楽園臨時駅を越える形で園の外に出たものの、空腹でふらふら、バスはどこから出ているのか分からないという有様。ついにお土産で買ったずんだ団子の包みを開け、ビニールに包まれたケースに手をかけた。はっとそこで目覚め、これはお土産に買ったものなんだ。安易に食べてはいけない、と思い直し、改めて周囲を見回すと、偕楽園の駐車場に暇そうなタクシーを発見。わずかな力で、タクシーにたどり着き、水戸駅まで頼む。助かった。しかも、俺にはオドロキの東北弁で、偕楽園の梅はまだほとんど咲いてないとか、空腹を紛らすような話をどんどんしてくれる(東北の方は親切だ−パート8)。やはりタクシーは適宜利用するものだ、と思った。観光に役立つだけでなく、そのときの気分すらも変えてくれる。

とまぁ、波乱万丈?でもあったけど、観光らしい観光はこれで終わり。最後に、水戸のラーメンを食べようと、観光ガイドで見ておいた駅南の店を探す。が、見つからずに、駅北の表通りを探すこと30分あまり。なんとラーメン店は4,5個程度。水戸ってラーメンで売ってるんじゃないのか?会社員の食堂みたいなラーメン屋で味噌ラーメンを注文。ここもやはり名古屋の赤味噌ではなく、やや東北に近めの味噌。味噌ラーメンと書く割には、野菜など具も盛りだくさんで、夕飯としては天ぷらそばより上。ついでにギョーザも注文しようと思ったら、間もなく店じまいだと言い出して、あえなく退店。宇都宮でギョーザを食いまくる計画が消えただけに、多少試してみたい気はあったのだが。

満足顔で、意外と坂の多い水戸の表通りを駅に向かう。ところが駅では、異常が発生していた。第二のお土産、水戸の梅を買って改札に向かうと、到着案内板に、常磐線上り列車の遅れ情報が出ていた。なんでも小動物との接触とかで、上下線とも遅延事態が生じているらしい。当初の予定よりも水戸に長居しているだけに、これには慌てて時刻表を繰り、先着する小山行きで東北本線にでて上京するルートも考えたが、遅延時間を加えても、常磐線に劣る可能性があるのでヤメ。同列車で水戸線との分岐点友部まで行き、時間を潰すことにした。結局、友部で上野行きの電車に乗ったのは定時より26分遅れ。しかも、ほぼ満員。通勤帰りが重なったようだ。それでも土浦辺りでとりあえず座れた。先にも述べたように、霞ヶ浦は見えず。ま、贅沢は言わないで置こう。それから、常磐線の東京周辺の暇つぶしとして、柴又の寅さんを訪れようとした計画も、時間が遅いので却下。30分弱の致命的な遅れを取り戻すべく、快速区間などで頑張り、上野駅には7分遅れで到着。JR西日本東海道山陽線新快速にみられるようなこの頑張りに、俺は盛大な拍手を送る。

京浜東北線で南下。秋葉原で途中下車。プリンシェイクを飲んで、再び同線に戻る。午後11時、この旅ではほぼ睡眠時間帯であるはずの時刻に東京駅を散策。閉店間際のキヲスクに、【東京ばな奈】を見つける。一本だけなら買って食べたい気がしたが、パック入りのようなので辞めにする。寒いホームに早々でて入線を待つのは苦なので、15分くらいコンコースで過ごす。

つづく