南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

中国は覇権国になれるのか(世弥)

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 後2週もすれば、筆者に報告当番が廻ってくる。何しろクラス全員で7名なので致し方ない。先週の報告者が余りにも完璧であったので、教授閣下も感服して一つも注釈を入れなかった。しかしながら筆者にしてみれば、幾分自論を加えて頂きたかった。尤もそんな要望を偉そうに言えるのは今の内であって、自分が相応の報告をできるか否かは、非常に不安である。兎も角、報告が非常に完璧であったのと、内容が幾分難解であったのとが相まって、マイナー質問家と注目されているらしき筆者でも手足を出さなかった(意図的なのか)。そこで、閣下より課題が出された。「中国は覇権国になれるのか。」
 突然聞かれると多少厄介であるが、咄嗟の意見として、中国経済の市場開放システムの最終目的は社会主義への回帰であるという観点を述べておいた。例の日本共産党が支持する項目だが、これを志向する限り経済成長はある一定の時点で停止し、またその後世界を圧倒するような経済力を維持できるかは不透明であるから、覇権国にはなれない、というものだ。ただし、北京五輪を絶頂としてのちの経済が不安定になる、という推算は打ち消された。
 さらに現場では述べなかったが、筆者が考察したことをここで記すと、例えば中国の経済発展が進行し、西部大開発が浸透すると内陸部の経済力が増す。そうなれば、政治的圧力で各民族自治区を押さえておくことは困難になるであろう。冷戦で二極構造上のソ連が覇権国たり得ず、アメリカが覇権を維持できた根底には、ソ連が各民族の居住地域がほぼまとまっており、分離独立の余地を残してきたことにより、政治圧力の強弱や政府本体の揺らぎに対する反動を大きくし、さらに海外からの強制力に対する批判を浴びやすかったためではないか。中国は政治力の面でソ連と同じ道を辿らないとも限らない。さらに中国は近代という時代に入ってから、常にマーケットとしての国家である。アメリカをはじめ先進各国の市場としての価値のために、数々の戦争、或いは侵略と称するモノを受けてきた。現在であってもそれは変わらない。日本や台湾、アメリカの企業が進出してこそ中国の経済は成りたつ。中国人は市場の仲立ちでしかないであろう。今の中国は、使い勝手のいい広場になっただけである。
結:中国は覇権国になれない。【2005/05/29/AM】