南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

小泉政権の限界

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 靖国参拝を巡って中国副首相が会談をキャンセルし、郵政民営化が難航し、中東の警備会社社員の殺傷映像が送られてきて、漸く小泉総理の政治手腕に限界が見られてきた。尤も、元来自民党政権に批判的な人や、小泉総理自身を余り好まない者は、そんなの常識と思うかもしれない。しかし、これほどまで「公」の仕事を、民間と区別しようとした政治家もあまり無いのではないか。「地方にできることは地方に」「民間にできることは民間に」をモットーとし、公ではサービスの悪い郵政事業を民営化する一方で、イラクに堂々と自衛隊を派遣し、たとえNPONGOが現地で活動していようとも、それは民間でできる限りやってもらって、公ではこういう活動をする、という方向を常に示し続けた。靖国参拝も同様である。戦争による死傷者や侵略被害国の感情に囚われることなく、たとえ戦犯であっても日本をある一定方向に導いた指導者として、一政治家という立場から参拝するという実際には中立的な意図に過ぎない。総理を辞めてから参拝すればよいという意見があるが、総理であるからこそ参拝しなければならないという使命感を密かに持っているのであろう。
 と、このように推論で説明せねばならないところに、小泉政治の限界がある。即ち、小泉総理は「芸術政治」を延々と続けているのである。筆者が解釈を加えなければ、政治的意図が把握できないようでは一般に通用しない。彼には一定の信念がある。その信念は極めて独創的で、正当性もあってまた社会を変革していく可能性を持っているはずである。しかし、まず行動、発言、政策を遂行し、解釈をマスコミや国民に委ねてしまう。その為、不調和や被害が生じ、さらには国際問題と化す。
 筆者もこのような主張稿を書き「結:」と締めくくっている分際であるから、彼の芸術的な表現政治を快く受け止めることはできる。が、政治はそれだけで運営されるものではない。対米関係を除いて、それほど誤った方向性は見られないので、意図を明確に説明して欲しい。そうすれば、総理続投と靖国公式参拝が維持できて一石二鳥なのではないかと。
結:彼は壊し屋にはなれても変革者には成り得ない。【2005/05/29/AM】