南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

ゼミで報告をするときは

レジュメを読んではいけない。⇒レズ女を呼んではいけない。

冗談は置いといて、自分でも分からない内容を他人に説明するのは、全く無謀といってよい。報告やプレゼンテーションをするときは、上記のようにレジュメを棒読みしてはならないのであって、増してや今更必死になってテキスト書籍をひっくり返しながら話すという行き当たりばったり型は禁物である。ベストなのは、前日から流れを心身に洗脳させておいて、完全に自分のモノにしてしまう語り方である。南蛇井はこの洗脳法が大好きだ。ところが、今回は全く効かなかった。前記の「増してや〜(以下)」にあるようなザマで、何とも虚しい。出だしはどうなることかと思ったが、とりあえずレジュメにもあまり沿わないで、終わりまで話し切ったのと、今更テキストを漁りながらではあるが自分の直感と即席の感性でジェスチャー交えて語る余裕を見せようと努力したことは評価できる。とにかく、気合だ。気合があれば、多少心臓漠々、頭真っ白、顔面蒼白、レジュメは内容をなしておらずとも、形にはなるし、ある程度の締め上がりが可能だということを改めて実感した。あと、内容や意味がサッパリ分からずとも、とにかく自分なりの解読をし準備に努力をすれば、自然と最後まで語り切ることができる、という確認にもなったわけだ。

まぁいずれにせよ、芸術性と独創的表現技法にのみこだわる南蛇井の、実際の発表や資料解説における欠陥が極めて浮き彫りになる結果であったのかもしれないが、昼食を抜いたり有人との交流を避けてまで没頭する必要はなかろうという自信がついた気もする。