ところが、8月17日、旭川観光で訪れたのは神居古譚でも旭山動物園でもなく、旭川兵邨記念館であった。元々訪れるまでは他意はなかった。旭川といえば、開拓使関連の資料館を訪ねたかった、という単純な発想である。アイヌ関連は、翌日白老ポロトコタンにて学んでいる。だが、この記念館は旭川神社敷地内にあり、感じぬ方には分からぬだろうが、展示された資料や説明の8割は右傾である。いかに北海道開拓使が、明治政府の皇民化政策に直結した、ある意味「優れた」制度であったかを詳細に物語るものである。開拓史の生活事情だけではない。屯田兵村から出征していった特攻戦士などの英霊を、鮮やかに描いている。さらに戦後60周年を記念した企画として、我が子を戦争で亡くす悲しみと題した展示を装いつつ、戦争責任は日本でなく米国にあり、と訴える資料を山積。最後に旭川神社を参拝すると、我が思想が見事に復活してしまった。
前述のように、台湾現地見聞は大学在籍中に欠く事はできないであろう。しかし、今回の旅で同記念館を訪問して、如何に自分がまだ日本というものを知らぬかを、身をもって知った。同時に、台湾の日本統治時代を研究するに当たって、既に日本本土とされている北海道(蝦夷地)と沖縄(琉球)を精査することが、重要な比較要素となりうるということに気づいたのである。勿論今になって、北海道や沖縄が日本国土でない、と論ずるわけではない。たとえ盲目的であっても、四つの島と沖縄列島は確たる日本国土であり、安易に内政干渉や取引などによって手放せるものではない。だが、如何にして日本の国土となっていったか、どのように同化されていったかを探ることで、台湾のみならず、韓国併合や満州国建設、さらには大東亜共栄圏構想にいたるまでの戦前日本の真の目論見を突き止めることができるであろうと考える。思い起こせば、ゼミ選択期間に教授と論じ合った際、「台湾非植民地論」を展開した筆者は、北海道や沖縄を例に挙げた。これを契機に、例の証明を果たせるかもしれない。
入館するや否や、冷たいお茶を出してもてなしてくれ、重い荷物を事務室に預かってくれ、筆者に快適な見学を提供してくださったことをこの場を借りて感謝申し上げると共に、同館で得た知識と刺激を今後の研究に存分活かしていく覚悟をした次第である。
結:台湾は、第二の北海道だ。【2005/09/06/PM】