南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

誇るということ

パキスタンの大震災で亡くなられた方、家族や朋友をなくされた方、その他多大な被災損害を受けられた方に、現時点からご冥福をお祈りいたします。今後、数少なくとも、瓦礫の下から生存が確認されることを異国の地から期待しております。M7.6というのは阪神大震災級の大地震ですから、我が家のブロック塀は愚か、イスラマバードの高層マンションも崩壊するのです。これは天災として避けられないわけですよ。歴史的に著名な建造物は、そのところが結構考えられてあって、京都・奈良の寺院やギリシャの神殿などは耐震性がとても優れているらしい。それから旧東京駅舎も関東大震災で崩壊しなかった建造物の一つだそうでございますから、近代建築も侮ってはなりません。地中から鉄骨で組み、耐震性ガラスで明かりを取り、階上部の揺れを極力減らす構造を取り入れた建物も、まだ近代すら歩みきれていない途上国には、手に余った先進国技術のプール先か、途上国各地で盗難の相次ぐ高級車のようなものでしょう。たしかに元々、寺院や神殿は国策が作ったものですから、庶民の住まいは木造のあばら家か、土レンガを積み固めた家屋が主流だったわけです。
けれど、私たちはよく祖先というものを口にし、誇りにします。それは大抵宗教儀式や生活習慣の中に生きているものですが。ある民族や種族をまとめて帝国を築き上げた人々の末裔。これは数多の世界市民の誇りでしょう。天災の多い地域で一定期間国家を維持するためには、天災に配慮した建築がなされているはず。何も現代技術に頼ることはない。技術は常に強者の出し惜しみが伴う。もっと目の前の誇りを思い出して欲しいな。
っで、なんだかもって行きたい方向に持ってく方法が分からないので、適当に始めてみた。以前にKKでも言ったことあるだろうけど、自分を褒め、誇りに思えるから、他国や他地域を認められる。日本に古くから耐震構造の建築があるから、地震の多い地にもそんな文明がありはしないかと考えることができる。でなきゃ、数千年もの間人類が生きられるはずがない。歴史を作れるはずがない。どんな地にも文明がある。文明ってのは、文化と違って自然を人類の都合のいいように(それは破壊という意味じゃない、共存するというある意味制限された都合を生み出せるのも人間だと思う)再構成したものなんだ。自然災害に何度も打たれてきた民族がそこにいる。必ず文明の歴史の中に、可能性を持ってるはずだ。
日本に頼ることはない。日本はまだ、自分すら知りはしないのだ。そんな国家に愛情も同情も求められるものじゃない。いつか日本がそんな国に変わったとき、その瞬間を俺は諸外国の首脳に教えてあげようと思っている。

※追記
このたびの地震で亡くなられたJICAの楢原さんに改めてお悔やみ申し上げると共に、イラクで武装グループに拘束されたり殺害された日本人と同様、国家とは別に活動されている方々は、決して頼れざる存在ではないことを付け加えておく。尤も、ボランティアや奉仕活動を資格のように考えておられる異種は別として、また国家を背負う背負わぬに関わらず、自身を確立し、世界の人生のために活動しておられる方に、同じ日本人としての無視され攻撃されるレッテルを付されることは誠に遺憾である。寧ろすべての日本人と日本国家が、彼らのような自尊他愛と使命感に満ちた、地球上の一単位となることを我は永遠に追求する。