南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

竹島問題とは何か(1)

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 先週木曜のゼミ資料を基に、本稿では竹島問題における筆者の見解転換と、資料作成者への意見を述べてみたい。彼の資料と報告は全般に渡って、下条正男/著『竹島は日韓どちらのものか』文春新書H.17.4.30に基づいている。筆者はまだこの書を見ていないので、どの程度中立の立場で書かれたものか存じないが、いずれにせよ一冊の書籍で発表を組み立てるのは大変危険である。
 その点を指摘するのは後にして、ともかく資料を簡単に紹介してみる。先ず、竹島問題の発端として、江戸初期頃の漁場を巡る竹島近海の日朝間外交を取り上げている。竹島の近隣にあるとされる鬱陵島は、その昔新羅王朝の時代から朝鮮史に記されているが、江戸期には倭寇の立ち回る危険な海域だった。そこで朝鮮政府はこの島を無人島とし、漁民も含めて立入禁止とした。ところが、海産物を求めて朝鮮から民は周辺を漁場としていた。同じ漁場を求めてそこに訪れていた日本人と遭遇したと考えられる。
以下は資料の抜粋である。《日本は、1693年朝鮮が鬱陵島を領土と主張していることを知り、使者を送った。そこで朝鮮側に対し、貴国の漁民が鬱陵島において密かに漁業をしていたことを伝え、今後の渡海を禁じる旨を伝えた。これに対し朝鮮側は、既に放置状態となっている鬱陵島に関して日本と帰属を巡って争うことを避けたかったため、日本の要求を受け入れた。しかし、ここで問題が発生したのである。「幣邦の海禁至って厳にして、外洋出ことを得ず。貴国の竹島、幣境の鬱陵島といえども遼遠の故を以って、往来を許さず。」これは朝鮮側が日本の使者に対して送った書の内容である。何が問題であったかというと、「幣境の鬱陵島」という語句に問題があったのである。つまり、これは朝鮮側が鬱陵島を一旦放置状態としたが、元々は朝鮮側の領土であったことを意味している。この語句によって日本と朝鮮の国交がこじれてしまうのである。》
 ここで気づく人は気づいて欲しいが、指摘している「幣境の鬱陵島」の句の前に、「貴国の竹島」とある。これは竹島が貴国、即ち日本のものであることを認めているではないか、という指摘ができる。が、実際質問の際にしてみた処、これは並列、つまり竹島鬱陵島はイコールなのであった。
結:しかし、それでは鬱陵島近隣の島であるはずの竹島の存在は、なんと曖昧なことか。これを史料に用いてくる著者も不審。(続く)【2005/10/11/PM】