南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

竹島問題とは何か(2)

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 今回は、先稿の補足的指摘と安龍福という人物の竹島史への関わりを述べてみる。竹島鬱陵島がイコールであるのは兎も角、先稿が史実であるとするならば、朝鮮が鬱陵島(及びその近隣島としての竹島)を国家の安全保障上の基地?として既に使用していたのであり、それは漁場であること以上の使用権利、占有権利を主張して妥当ではないか。無人島にして一時は手放したものであるが、というように、遠慮がちな態度をとることで今日に至る問題を引き起こしてきたのではないだろうか。同島に無人化政策を施したのは、明らかに朝鮮政府であり、それを知らず漁場収益を目当てに日本が領有権を主張したのであれば、それは日本の侵略行為(当時)としても誤りではない。無人化政策は、それ相応の事由があってのことで、必ずしも他国に開放するという意味を含有しているとは言いがたい。但しこの点については、次稿で再考する。
 さて、鬱陵外交はさらに続く。先出の安龍福は、鬱陵島で日本人と遭遇し、日本は彼により韓国の鬱陵島占有を知る。先稿の取り決めにより日本は已む無く鬱陵島の領有権主張を諦めたが、安龍福は「日本が竹島・鬱陵両島領有を宣言した」と公言するようになった。そして、この言葉は現在まで引き継がれ、韓国の竹島史観を形成している。資料でも強調しているが、これは全くの虚言である。
 レポートではここから次の段落に移り、この安龍福信奉史観を覆す観点を提示している。新羅王朝時代から于山国の于山島として竹島が記されており、誰もが無心で信じる安龍福が「竹島即ち于山島」と述べていることが根拠となっている虚構について、日本側は《韓国の文献である『鬱陵島検察使日記』には、鬱猟島から竹島が見えると書かれているが、実際には見えず、また地図である『鬱陵島外図』には近隣の島は描かれているが、今日の竹島は描かれていない。これにより、安龍福が竹島であると供述した島は、竹島ではなく、近隣の島であることが証明できる。》と主張した。実際に地図を見ても、今日争われている竹島鬱陵島はかなり離れている。当時朝鮮が主張していた于山島は、鬱陵島の属島であり、全く一致しなかったということだ。こう見てくると、先の「竹島イコール鬱陵島」というのがなるほど意味が通るかもしれない。
結:だから今になって独島と名づける必要があったわけか。【2005/10/11/PM】