南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

竹島問題とは何か(4)

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 この稿では、筆者が最も問いたかった、サンフランシスコ講和条約での竹島処理について述べてみる。同レポートを簡単にまとめてみる。1945年に日本の植民地から解放された朝鮮は、同時に竹島も吸収した。しかし、その後南北朝鮮の独立と朝鮮戦争の動乱の中で、竹島は国際法規上日本に戻るのだ。それは、《竹島はもともと日本の領土であったとアメリカに対し主張し、サンフランシスコ講和条約において日本の領土と認められたのである。》というものだ。韓国は条約発効前に武力で竹島を制圧、李承晩ラインと名づけた。日本は国際司法裁判所に持ち込んだが、韓国側は拒否を続け、現在まで裁判成立に至っていない。
 《〜》で示した記述に、〔(日本は)アメリカに対し主張し〕とある。占領軍の統治下にあった日本が、独立回復後の領土を主張できたのだろうか。ならば、何故沖縄や鳥島を放棄してまで竹島に拘ったのか。以下は、サンフランシスコ平和条約の草案作成過程を分析する。1949年11月の草案までは、竹島は朝鮮への返還というように明記されていた。が、この草案を読んだ駐日政治顧問W.J.シーボルドは、草案への修正提案を送付し、その中で「朝鮮方面で日本がかつて領有していた諸島の処分に関し、我々の提案した第三条の中で、竹島は日本に属する旨、明記することを提案する(P.49)」とし、その理由として歴史的正当性と米国の戦略的考察を挙げている。戦略的考察というのは、筆者の推察通り、朝鮮戦争等により半島全土が共産化する危険性を鑑みて、軍事拠点としての価値を見出したものと思われる。同様に斉州島の日本帰属も議論されていた。ところで、シーボルド氏が何故上のような提言をしたかとの点については、「戦後初期に日本外務省が作成した旧日本領土に関する英文調書の中に、1947年発行の『太平洋及び日本海小諸島』と題された調書が存在することが知られている。(略)この冊子の内容が彼の提言に影響を与えたものと考えられる。(P.49・50)」本稿ではこの程度に収めておくが、決して日本が領有を主張したのではなく、米国がその戦略を考慮し、日本の文献を利用した上での密室作成によることは明らかである。
参考文献:『サンフランシスコ平和条約の盲点』原富美恵 渓水社 2005.6
結:如何に単一資料が危険か分かるだろう。【2005/10/11/PM】