さて、以上長々と細部を追及してきたが、最終稿では竹島問題における筆者の見解を再設定し、展望で結んでおきたい。
その前に先稿の補足であるが、竹島の帰属についてアメリカ含む条約起草国に対し、要求をしてきたのは寧ろ韓国のほうであった。しかし、米国は条約調印後、明らかに日韓両国の紛争源となり得るにもかかわらず、敢えて日本領とした。調印に先立って韓国は李ラインを策定し、これに対抗した。米国としては、朝鮮の共産化を想定し(当時は北が優勢で危うい状況にあった)、また面倒な二国間領土紛争として、国際司法裁判所に委ねたいという意図があったとされる。ところが、韓国側は未だに日本の提訴に応じず、平行線を辿っている。
筆者は、近年の竹島問題における日韓緊張を、これといった知識を得ることもなく、傍観していた。島根県は「竹島の日」を創設し、日本の一行政区に所属することを明確にした。これは言うまでもなく、日本近代期における領土確定の一環であるが、韓国はそれに気づいていない。本編前半では、発端となった江戸期の漁場を巡る紛争を取り上げたが、そのような旧来の領土感覚は現在に継承できるとは言い切れない。歴史的事象として主張できるのは近代に入ってからではないか。まず、日本の領土紛争で注目される北方領土、尖閣諸島、そして竹島などを考える際、歴史的根拠としてこれを考慮する必要がある。次に、日本は本土と呼ぶものを本当に愛しているか、という問題である。これまでを含め、常に領土問題を取り上げる際に考えることだが、江戸時代までに明らかに日本人が生活し、各時代を築いてきた本土を、近代国家を歩む上で確定させていった新領土に拘るあまり、忘れ去ってはいまいか。先の紛争領土に加え、台湾、樺太などを本土並みに開発、統治した功績は非常に大きい。しかし、愛国・憂国はもっと母体に帰るべきである。
発表者のレポートを分析するまでは、日本は母体に帰り、竹島を放棄するほどの度胸があっていい、と考えていた。が、本編で考察する中で、日本が竹島の領有を主張する意図は、ある程度理解できた。領土だけでなく、経済水域の問題が主体となる竹島だが、筆者としては「放棄」論を一定に残しつつ、近代史観の上で領有の可能性を探ってゆくことにする。
結:とりあえず実効支配に任せます。【2005/10/12/PM】