南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

歴史の主体的な学び方(1)

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 竹島問題について5稿も掲載してから間もなく、2人目の発表となった。自分のレポートも早急に整理しておかねばならない。今回は送信されてきた彼のレポートを読み、かなり思考が筆者と似通っていると感じた。特に、実際のプレゼンの際には取り上げなかったが、台湾植民地統治の是非について非常に関心をもっていることが判明した。それだけに筆者としては、細かなことでも彼と区別化しておく必要があると考えた。近頃筆者は台湾を特に専門的に研究していないので危機感を抱いていたが、プレゼンでは主に「南京事件と東京裁判に関しての日本の教育法」が語られた。
 簡単に概要を説明すると、まず日本の歴史教育の目的として、「自政権の正統性を示し、国際社会で主体的に生きる日本人を育成する」ことと定義し、一方で実際の教育上は自虐的だと述べている。その具体例として、日本の加害行為である南京事件と被害事象である米軍の原爆投下を比較し、「南京事件については非戦闘員である市民を含む(ゲリラ兵や残留軍)大量虐殺を行ったと詳述するが、原爆や大都市空襲はすべて非戦闘員である市民を殺害したのに世界からの非難すら記載されない」として自虐性を強調。さらに東京裁判では、米国内からの専門家の批判があったことが記されず、裁判による戦犯断罪と戦争否定を決定付けたようにしか教えられない、としている。そして、これらの指摘を近年問題となっている『新しい歴史教科書』と比較し、一定量の日本が行った戦争行為を肯定する記述が見られることを紹介している。
 さて、『新しい歴教』との比較も紹介されたところで、筆者の所感を述べさせて頂く。まずゼミ質問の際も言及したが、日本の非戦闘員とは如何なるものか、という点である。国際的な法規上で、戦闘員と非戦闘員の区別がある、と切り返されたが、それは戦後の今があるから言えるのではないか。戦中は誰もが鬼畜米英と唱え竹やり訓練に参加し、金属類を供出し、配給制に従っていたのだ。それが総動員ではないか。国家に協力しなければ満州開拓民は存在し得ないのであり、酷だといわれるかも知れないが彼らは攻撃される対象として妥当なのだ。今でこそ、イラクで武装グループに拉致されたNGO活動家などが、外地での非戦闘員に値するだろう。
結:日本国民は当時すべてが戦闘員であり、非戦闘員の存在を論ずることこそ、戦争を直視しない行為ではないか。【2005/10/14/PM】