南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

名古屋⇔豊橋往復切符

午後1時過ぎ、散髪に行って来い、と家を出るとき、思いついた。名古屋⇔豊橋往復切符で、豊橋まつりを見に行こう。床屋へ行く前に、切符を買おうと中央線の某駅改札前に着くと、ポスターがあった。なんと今月から名古屋市内ならどこから乗っても往復1500円(土休日)なのらしい。駅に来るまで、某駅から金山までは払わなきゃいかんと思っていたが、これはとってもお得だった。しかも、豊橋の周り、二川や豊川も範囲内らしい。名鉄に対抗して随分バージョンアップしたな。
散髪を済ませ、南口から改札。14時12分。いくら往復切符とはいえ、かなり遅めの使用開始。14時半、3分遅れの新快速に乗換。上下線とも3分遅れの東海道線。どうしたんだろう?結構混んでいたので、笠寺に停まるのかと思ったが、これはハズレ。レインボーホールのイベントじゃないらしい。岡崎を出てやっと座れた。
この寸旅を思い立ったのは、前述ほど突然でもない。今月に入ってから、急にスピードのある電車が恋しくなった。近鉄3日間切符や2日間切符、名鉄・近鉄・南海3日間切符などで、いくつかの計画を立てたが、宿予約等の時間がなくて実行に移されず。それじゃ、1日でも良いや、と青空フリーパス利用の日帰りバージョンも組んだが、あんまり面白みがない。何となく気分が優れず、イライラしていたので、今日の決断がいつになくスムーズだった。あとは、2000円以内で行動できるのが、節約生活に適合していたのもある。そして、今日の中日新聞朝刊コラムに豊橋鉄道が載っていたのと、ラジオで豊橋まつりのニュースが先週からチラついていたのが耳に残っていたのが、切欠。
15時15分、豊橋着。駅前はやっぱり祭りの盛況。ユニセフの募金をやっていたので迷わず5円投じる。まずは電車道に沿って、東へ。待ってました、とばかりに花電車登場。やはりマニアっぽい数人がカメラを向けている。名古屋も昔はやっていた花電車。親の世代しか知らない花電車。名古屋じゃ、ついに花バスも今年で絶えた。花電車といっても大きな広告のない、花飾りだけの電車だが、お祭りでしか見れない名物電車だから、こういうものを残せる豊橋はやっぱりイイ。市が運営している鉄道じゃないが、市民の根強い保存と有効利用が、市最大のお祭りで、花を咲かせていた。
眺めていると、裏道で賑やかな音がする。どうやら市民の祭りは、あっちらしい。一本北の商店街に入ると、そこは神輿天国だった。豊田でも出会ったが、男たちの熱気あふれる神輿担ぎ。豊橋市内数箇所の神社から集まったらしい小柄な神輿が、老若多様な男たちの威勢のいい掛け声で担がれ、商店街の店とテキヤに挟まれた道を練っていく。あのドラえもんとかマツケンを象ったような、派手派手しくガキっぽいお神輿ではなく、本当に儀式で祀られるような物体だけで、穢れを感じない。あまり広くない交差点で、神輿は大きく暴れ、見物人が触れられそうなほど練る。他で観るお祭りよりも、神聖さと力強さを感じた。そんな形の祭りが、田舎集落でなく、愛知県下第二の都市の市民祭りで繰り広げられるのも、何か豊橋の奥深さじゃないかと思った。
再び電車通。スピーカーから大音響で音頭が流れる。通行する若い人の話から、あれは豊橋音頭らしい。テーマソングまであるのか。さすが、豊橋。
札木の小さな神明公園では、原爆展と集会が行われていた。どうやら、市民祭りの人出の多い日を狙って、広島や長崎と同じ市電の町豊橋で開催したようだ。原爆の被害を訴える資料や写真がたくさんパネル展示され、集会ではイラクの劣化ウラン被害を訴えていた。パネルを眺めていると、一人の老年男性が、「日本も悪いことしたんだ。同じくらい悪いことしたんだ」と呟いていた...。
豊橋公園。ここでは、豊橋市内の小中学校児童・生徒(障害児を含む)の造形作品約3万点を展示する、巨大な野外展覧会が開催されていた。その素材が凄い。発想も凄いが、材料には驚いた。なんつぅか、俺の小学校時代は、あんなバラエティーに富んだ作品を作る材料を持ち込む奴が少なかった。確かに、今の生活には10年前にはなかった材質の物品があるかもしれない。でも、自然物から人工物まで、その素材にはとにかく舌を巻いた。まさに、造形天国だった。昨日の雨でぬかるんではいたが、1時間弱いてもかなり物足りない気分にさせるほど、その芸術性は見事なものだった。小学校の小さな体育館で展覧会、なんてやってた自分の幼い頃が陳家に思えたくらいだ。どんな詰まらぬ造形も、野外で地面に転がしてみると、すっかり馴染んで生き生きとして見える。それに、ここは「作品に手を触れないで下さい」なんて、一文字も書いてない。どんどん触って、肌触りを好きなだけ楽しめる。良心に任せた作品展だ。土をかぶり、雨にぬれ、風に吹かれ、テキヤの匂いを嗅ぎ、たくさんの指紋を受け視線を浴びた作品は、完成直後より一段と輝いて、いわばリンゴや梨が熟すように美しくなって、明日以降製作者の手元に帰るのだろう。壊れていても、それはここで輝いた証拠だ。いいものを見せてもらった。3万人の手よ、アリガトウ。
展覧会の奥には、吉田城址がある。鉄櫓は入場が16時までらしいので、登れなかったが、武具置き場の見晴台で、豊川を眺める。ものすごく自然体で残された河原だ。お堀のように、城北の防衛線を果たしている。吉田藩は10数万石の譜代大名だが、財政に乏しく、城下は未完に終わったらしい。東海道沿いの要所として、商業を興せなかったのだろうか。
小腹が空いていたが、テキヤでは何も買わずに、電車道をさらに東へ歩く。国道1号線は南に折れ、電車はやや狭い道に入る。石畳がしかれた線路が気に入った。まだこの辺りは、狭いがホームがあり、乗降は安全だ。ここでもう一度花電に出会った。少し交通量の多い道が飽きてきたのと、なかなか運動公園への曲がり角が現れないので、東海道の旧道らしい道に入った。古い家並みはもぅ残っていないが、夕暮れの静けさがある住宅地は電車道とは違った味わいがある。最初はこんな気分でよかったが、さすがに空腹がひどくなってきた。せっかく豊橋に祭り観に来たんだから、祭りっぽいものが食いたいと思ったが、この空腹はさすがに贅沢を言わせない。ココストアで処理した。すると今度は、なかなか南北の電車線を横切らないことへの不安が募ってきた。自分はどっちの方角に歩いているのだろう。地図を持たず、また見ても来ず、行き当たりばったりでそれらしい方角を進んできただけの冒険ウォーク。また小雨も振り出し、日も落ちた。そろそろ通行人に聞こうかと思っていたところ、単線のレールが現れた。これで一安心。結構距離あるわ。
運動公園前駅。ちょうど法人会広告の電車が入ってきたので、これに乗れるかと思いきや、回送の表示に。片側一車線の狭い道の真ん中に一本のホームと線路。線路はぷっつりとそこで切れている。電車を待っているのは、今日のお祭りを終えたらしい元気なおじさんたちと、数組の東南アジア系外国人。ここ豊橋は、不思議なほど、このアジア系外国人が多い。あとラテン系も多そうだ。観光(祭り見物?)だけなのか、ここに住んでいるのか、分からないところがあるが。電車は祭りの影響で、かなり遅れているらしい。皆線路に降りたりして、電車を待っている。電車が信号の向こうに見えると、先着電車(回送になった奴)の運転士が、「切符」と言って客列を廻ってきた。俺はシステムが分からないので、困っていると、「乗るんでしょ、150ね」というので、やっと解して150円払った。前払いか。先に切符なんか売ってるんだろうか。よく分からない。
岡山でもそうだったが、どうも市電に乗るときは雨天か夜で、外を眺める条件が悪い。ガードレールに接しそうなほどに、小さな交差点を可憐に曲がりきると、井原駅。狭い道がクロスした信号にある井原駅は、各行き先(駅前・運動公園前・赤岩口)のホームが三方向に点在している。でもホームが設けてあるだけ、まだいい。この先の競輪場前駅は、廃線になった岐阜市内線と同様、段差のホームがなく、乗客は歩道のない道脇に寄って電車を待ち、来たら駆け寄って乗る形だ。豊橋駅前や1号線沿いを見ると、いかにも安全で整備された路面電車だけど、ここまで来ると不便さと危険性を感じる。勿論そんな狭い道だから、電車の脇を大型トラックが通り抜ける。線路内は一応車両の乗入れが制限されているので、走行を邪魔されることはないが、今日は祭りの影響で全体的に遅れが出るらしい。そしてさらに、変則なことが起きた。市民公園前でアナウンスが入り、「この電車は、新川駅まで運行します。豊橋駅へお越しの方は、札木で代行バスにお乗換え下さい」ときた。聞いてないぞ、こら。行き先表示には【駅前】と書いてある。どこからどこまで乗っても150円らしいので、ちゃんと終点まで乗りたかったし、あの綺麗な駅前ホームに滑り込んでみたかった。札木で代行バスの整理券を受け取った乗客が次々と降りていく。発車ギリギリまで迷って、結局そのまま乗り続けた。新川駅までは行きに歩いてきたから、どのくらい歩くか分かっている。
新川まで乗ってきたのは正解だった。さっき花電車らが静かに走っていた駅前大通はいつのまにか、「踊り」の天国と化している。豊橋まつりの最終日、この広い通りを舞台に踊りまくって締めくくろうというイベントのようだ。さすが、豊橋、お祭りは夕方で終わりじゃないんすね。ビールを片手に商店の前でにぎわう人々。和太鼓の前奏が通の各所から鳴り響き、そろそろ始まろうという処で、惜しくも雨が降ってきた。もぅちょっと、最後を見ていきたかったんだが、時間も押しているし、濡れながら観るのもナニなので、雰囲気を味わえただけでも新川まで乗った甲斐があったと思い、最後に広場から駅前通全体を眺めて豊橋を後にした。
といっても電車は15分後にしか出ず、多少間があった。と思ってホームに降りてみると、既に大垣行き特別快速は一通り席が埋まっていて、出遅れてしまった。おかげで金山まで全く座れず。幸田付近で花火が見えたのと、やっぱり快速気分を味わえたのが救いだった。
終わり