南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

パレスチナ解放機構(PLO)と大東亜共栄圏

f:id:Nanjai:20131215204320g:plain
 当ゼミでは主に東アジアの国際関係を扱う学生が目立つが、まだ初期のレポートであることも関係して、卒論とは幾分離れたテーマを選択するものがある。今回はその例で、パレスチナ解放機構の動向から見る「イスラエル・パレスチナ問題」であった。個人的なことを言えば、嘗て筆者は高校時代、中東問題に大変関心があり、1年の10月末頃には当時開催されていたエジプトのシャルム・エル・シェイク会談を取り上げたプレゼンを行い、中立的な立場から米国政策をヤンワリと批判した経験がある。この会談では、米大統領(当時はクリントン)、イスラエル(同バラク首相)、そしてパレスチナ(同アラファト議長)が出席し、ノーベル平和賞を受賞した故ラビン・イスラエル首相時代のオスロ合意を受け継いだ和平交渉が進められた。しかし、この会談の後問題は決裂し、民衆蜂起とイスラエルの軍事的応酬が交えられる結果となった。その原因とも結果ともいえるのが、アラファト議長の死であり、米国の政権交代かもしれない。何れにせよ、筆者はこの期を境に中東問題から手を引いており、熱心であった頃の知識は旺盛であるが、思考的には疎い状態にあった。
 報告はパレスチナ地域の地理的解説から始まり、レポート内容に関して大まかな説明がなされたが、なにぶんレポート自体が壮絶なPLOの歴史を語っているので熟読しても到底太刀打ちできるものではない。基礎的な質問は控え、資料から一節を抜き出して思考追及を試みる。パレスチナ民族憲章に詠われた《イスラエル抹殺》と《シオニストによってうばわれたパレスチナ地域に独立国家を建設することであり、この国家はイスラム教徒・キリスト教徒・ユダヤ教徒の間で差別のない世俗的で民主的なものでなければならない》との併記は、矛盾を生み、新たな迫害をもたらすのではないか。これは、アジアの戦中期、日本が東南アジア諸国民の欧米植民地支配からの解放を掲げて鬼畜米英を唱えたが、もしこれが成功した場合、アジアにおいて欧米人は永遠に敵であり共存社会は生まれ得ない、という事象を念頭においていたものである。また、イラク戦争後駆逐されたバース党員やスンニ派組織は、差別のない社会の一員とされるであろうか。
結:例示が正しいかどうか分からないが、この並列は両立されるものではないと思われる。【2005/11/14/PM】