南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

三位一体ぐるぐるぐる

昨日のほんねとーくにて、中国の政治体制について、三位一体から始まって歯車の回転がどうのこうのと話したが、『党がすなわち国家であり』という文言を否定するに至った。ところが、改めてレポートを読み直すと、また脳内が暴発した。
まず辞書で三位一体について調べてみた。【三つのものが、一つの物の三つの側面であること。】昨日のとーくでは、歯車の軸を曖昧にしてその全体像だけを捉え、政治体制の運営を歯車の回転に擬えたが、歯車の回転でなくそれぞれの歯あるいはプロペラの羽のように捉えなければ、それぞれの側面をみて三位一体とはいえない。それぞれの側面が最終的に軸を表さなければ、決着がつかないと思うのだ。要するに、3枚の羽に赤・オレンジ・茶を塗って回転させても、全部赤だけを塗って回転させるのじゃないという意味かな。基本は赤っぽい色だけど、きちんと見ればそれぞれ違うっていうこと。
だけど、レポートを見ると、本論の最初に《主な政治的アクターは、排他的権力を行使する共産党、国家、そして人民解放軍の3つである。》として、《現代中国の政治体制の第一の特徴は「社会主義に入った1954年以来、この3つのアクターが強力な三位一体をつくっていること」》としている。尤もこれは引用で、毛里和子『現代中国政治を読む』山川出版社、1999年にワカッタカブリしてるんだろうが、ともかく本論の最後で自分の言葉らしくまとめると《このように中国政治の3つのアクターは党を中心に三角形を形作っている。中国のレジームを支えているものこそ、この三位一体なのである。》となっているのだ。党が軸(重心?)となって共産党・国家・軍の三角形を造り、中国レジームというのは多分共産主義思想と反日主義による壮大さを誇示する国家運営だろうが、そういうものが成り立っているというんだ。昨日はこれを全く逆に、レジームがあるから軸があって、それが党の緻密さによって回転を保ち続けるのだと論じたが、それでは三位一体のニュアンスが出ないらしいことに気づいた。
中国にも、たいした数じゃないが民主党派が存在する。でも、軸となる党は、これを含めた言い方ではないだろう。従って、「共産党共産党と国家と軍の中心」となる。それはやはり不自然だ。軸は、仮定であるほうがとおりがいい。
三位一体の型にはめて論じようとするならば、何かを中心に持ってくるのじゃなくて、それぞれが最終目標に何処へ向かっているか、全体が何に大きく影響(外側から)されているか、という風に捉えるべきであり、それがレジームなんだら本論末の文面は合っている。そして外圧は党じゃない。中国レジームであり、党は他の2面をプッシュしているに過ぎない。とにかくそんな結論になった。ゼミ聞いてからもう一度K.K.にまとめる。

全然駄目ですね。報告聞いても分かりません。