南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

経験者が語る二・二八事件と台湾史観(2月14日の台北市二二八紀念館訪問に基づく)

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 台北市観光2日目で台湾旅行最終日でもある2月14日、筆者は台北市二二八紀念館を訪れた。出会いは常に適所にあるもので、日本統治時代と闇の戦後台湾を生き抜いた、流暢に日本語を話す蕭氏の熱弁たる解説を聴くことが出来た。若き青年時代は日本人としての誇りを持ち、志願兵となった。一方で、光復後、国民党統治下での台湾住民との摩擦による二二八事件まで、彼は新聞記者として一部始終を見聞した。
 既に秋学期レポート準備段階で、二二八事件の背景について文献を一読してあった為、館内展示内容はその復習となった。日清戦争後日本に割譲された台湾では、日本の法規定の範囲内ではあるが、自主的な出版や結社活動が認められ、地方自治システムも確立しつつあった。さらに、インフラの整備や産業基盤の形成が日本の植民地政策の一環として進められ、蕭さん曰く中国大陸とは「文化的」な差が生じていた。が、戦後の大陸民独占政治は、台湾人の権益を奪っていった。二二八事件後は、知識人や芸術家などが次々と投獄され、残虐な殺戮によって命を落とした。蕭さん自らも、父の連行を嘘で逃れたことや、タバコ専売局までの学生デモの様子など生々しい体験を語った。
しかしながら、彼はときに激しい中共批判や日本現政府への嘆き、太平洋戦争への思いを口にする。「何故中共が根拠も無しに台湾を自国領と主張するのか。」「何故日本の首相は戦中戦った台湾人兵士に対して、ご苦労様の一言も無いのか。何も国益に反しないのに。」「アメリカは、日本の真珠湾攻撃よりも前に、日米開戦を準備していた。日本は負けるべくして負けたのだ。」「戦争はどうあっても二度と起こしてはいけない」今の筆者とほぼ同じ歳で、台湾の戦前戦後の激動期を生き、一つの台湾史を背負う蕭さんの願い。最後に出口で、解説を聞いた私たちに、教育勅語を配布した。明治教育を受けた蕭さんの今日に至る生き方は、決して現代に不相応でなく、私たちが再度学びなおす価値を有するものである。
結:時折漏れる真意の中で、アメリカに自虐的意識を持ち、大陸人に「文化的違い」という蔑視を持つのは、客観的に史実を見る上でも、今後の台湾史観を形成する上でも、危険ではある。が、戦前日本からの恩恵と損害を受け止め、それを基に光復と二二八事件を生きて、我々後代日本人に伝えるこの熱意は、台湾の未知なる力でもある。【2006/04/11/PM】