南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

小学校の同窓会回想

まず、2日間の流れを話しておく。午後6時10分前に店に集合になっていた。栄駅の地下街の末端で、携帯で話し中の恩師と遭遇した。なんだか場所すら聞いていないとかいうことで、そのまま一緒に店まで行った。ちっとも変わってない。ラシックと松坂屋の間にある某ビルの焼き肉屋には、およそ20人のクラスメイトが現れた。約3分の2だ。昨今は30人学級にしろと騒がれるが、何のことはない。我々の学年はとっくの昔に30人(実は29人で定員割れしていた)であった。
卒論もやる気しない、就職していない、将来不透明の私は、自棄的に飲みまくって連中にまぎれていた。これは当初の方針通り。酔っちまえばこっちのもの。席を離れて、何人かに突っ込んで話していたから、一見普通っぽく見えたに違いない。ちなみに全体の4割くらいが学生(大学など)で、他が社会人。恩師(というには何ともそぐわない感じがするので以下先生)は、京大・慶応・南山2名が一クラスから出るのはすげぇ、とか感動していたけども、それくらいありうるのじゃないかと。彼自身愛教大とかのエリートじゃないから、感動するのかもしれないけど。上の4名に含まれているだけに、「別にいい大学行く奴がいい人間になるとは限らないもんな」と発言してやった。いや本音。この俺が実証中だもん。
元々ここに集まれるのは、Sという主宰的男の連絡が取れた連中だけ。つまり名古屋を出たものや、連絡を拒んだものは来ていない。つぅことは、まだ3分の2が連絡の取れる場所に生活しているということだ。また、いない連中の中にも、噂などがちゃんと存在する奴が多い。やはり名古屋人は、地元を脱することの出来ない種族なのだと思った。これが大学を出て就職していった際、どれだけバラけるか。今後2,3年が勝負どころだろうと思う。Sは、まだ集まれる限りやるつもりでいる。俺は40代くらいになったらまた顔出してやりたいとは思うが、何分一家の長男なので永久にこの拘束を脱することはできないだろう。
約10年の間、誰がどんな人生を送ってきたか、仔細に記すことは困難である。だから、この酒宴の場で何人かと話したが、それは省略するしかない。8時以降は場所をカラオケ店に移して、さらに12時以降は部屋移動までしてダラダラ流れた。12時になったとき一度帰ろうと思ったのだが、残れ残れの激しい勧めに遭ってほぼ強制的に残された。一度残ったら終わりだ。終電過ぎたら帰れないし、帰ったところで家は開かない。こうなったら、一度乗った船は下りないで、負うべきものは後で負えばいい。そう思った。一時は解散の声もあったが、結局5時半まで店にいた。特に、始発で常滑に帰るつもりの人もいて、解散すれば一人野放しになるからだ。まもなく40歳になる先生はしんどいとぼやいたが、相変わらず若い奴についていけるオヤジだ。だから小学校教師を続けられるのか。今はガキ化が小学校まで浸透してきているから、彼ぐらいのが適していると思う。ところで、3次会の半ば、だんだん皆がだれてきた頃、誰かが「先生に人生について語ってもらおう」と提案した。ところが、先生はたった一言で終わってしまった。そこで、ついに俺はぶっちゃけてしまった。「40年も生きててそんだけかよ。」
この発言は、密かにこの会最大の私の本音である。彼は教員を始めて約25年になる。さぞ教員として味も深まったことだろう。そう期待していた。だが、この有様である。俺は、日本の教育は終わったと思った。いま、日本の教師は、上からの「強制」と子供の目線に立った「共生」の2つのキョウセイの両立あるいは共存が求められている。かつて戦前などの教育では体罰が当たり前で、子供の本音に耳を傾ける教師は少なかった。けれど、経済成長の弊害や90年代の社会的転換に伴い、子供(ガキ)の心理を理解することが教育にとって非常に重要になってきていると思う。家族や地域社会のつながりが希薄になり、子供が子供として生きる空間を奪われている。言う事を聞かなければ虐待され、おとなしくゲームをしていれば放置。町から空き地や公園は消え、年齢が増すにつれて学習塾に吸い込まれる遊び仲間。ガキがガキとしていられる場所が学校にしか無くなってきているなか、学校や教師に求められるものは変わってきているはず。これは、教育エリートしか分からないとか解決できないとかいうものじゃなく、むしろ現場にいる教員だからこそ肌身に分かるのだ。こういう辺りを一言でも欲しかった。私がここで語ってるんじゃしょうがない。
カラオケではいつものことだが、私は一曲も歌わない。ちょっと曲名検索してみたが、ブラックエンペラーの「土曜の夜の天使」はなかった。キャロルで引けば良かったかな。まぁあれ歌ったら皆から退かれるだろうけど。3次会では、王様ゲームと大富豪をやった。罰ゲームでビールの一気飲みをやったので、一気は計3回くらいやったかな。一度死んでみても良いと思ったから、別に断りもしなかった。終わりに、「世界に一つだけの花」でマイクが廻ってきたのでサビを独り占めしてみた。多少印象的。
とまぁ、教育の辺でつい本気になってしまったが、本当に語りたいことはこれからなのだ。2次会と3次会の間、ずぅっと考えていたこと。目と脳のカメラを廻しながら、クラスメート一人一人を撮りながら考え続けた。いったい、この10年で俺らは何が変わり、何が変わらなかったのか。いや、俺は変わっていない。俺は変わらないフリをするために出席したのだ。変わらない自分を演じていた。キレキャラだとか評されたが、基本的には変わらないキャラに徹したつもりだ。こうやって、集団から一歩引き、全体を眺める癖も変わっちゃいない。自分を固定しないと全体が見難いから、そうしてみたはずなのに、結局のところ、それが本来の自分であったのだ。
彼らの何が変わり、何が変わっていないのか。それがテーマだった。彼らはオトナになった。間違いなく、なった。俺以外は皆、オトナになっている。10年間世の中と擦れて、様々な経験をし、ほとんどの奴がスモーカーになり、世に適応している。けれども、2次会に移ってくると、意外とそうでもない。本音というか生の姿をさらけ出して来る。そして、その場に立っている自分ですら、演じている自分ですら、今まさに10年前の空間にいるかのような錯覚を覚えるのだ。人気者であるようで、実はどうでもいい駒。他の奴だって、そうだ。実のところ、10年前の連中がそのままカラオケ店の一室にいるわけだ。
結局要するに、彼らは世の中と擦れても適応する素質を持っていたのであり、それが素直に成長して大人になった。変に大人ぶって冷静な見方をしてきたはずの自分こそが、実は大道のオトナへの道に逆らっていたのであり、演じる必要もなく変わらない自分という存在を置くことが出来るのだ。これは確かに一種の疎外感であるけれど、疎外されることに誇りを持ち、それを一種の存在感として利用してきた自分だからこそ、臆することなくあの空間にいられたのだと思う。ときには消えてしまおうとも思ったが、そこで消えてしまわないところだけは過去と変わったようには思う。こうして、今考えていたことを文章化する点も、一つの変化であり、疎外者の主張とでも言うのだろうか。だから、結論をいうならば、クラスという内向きには何も変わっていないのであり、それぞれの社会生活という外向きには変化を遂げているということだ。私は内向きとしての行動しかとっていないから、変わらない自分を演じていたことになるし、行動制御は成功であると言えるだろう。