南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

広島の特殊性

北方領土の日については、この文章の冒頭に簡単に触れるつもりだったのだが、書き始めたら思考が進んでしまった。おかげで別にまとめたのだが、これが思いがけないところからトラックバックを戴いてしまった。凶刃的狂言より始まる一連の文章群の中で、他者からのコメントやトラバを受けたのは、これが初めてである。当家にこの機能を移転してより、漸くその成果があらわれたようにも思える。
なぜ、北方領土の日に触れようと思ったのかというと、それはこの日の夜に、際立って暴走族の動きが見られたからである。我が家付近は、長年から彼らの通り道ではないので、通常その姿自体は見ることはない。しかし、ここから約1km離れた幹線道路から響いてくる爆音の程度で、その日の動きの規模を読むことが出来る。ここ2,3年、条例の改正などから取締りが厳しくなり、この爆音は過去のものとなりつつあった。ただ、最近は組織の弱体化というか非組織化が進んでおり、単独走行が目立つ。よって、長続きしない爆音が増加してきた。現存する集団へ紛れて走るなど、組織にも変化が現れているらしい。暴走という集団行為よりも、非行あるいは暴力団の手先として個人個人で活動することのほうが彼らの社会では重要なことになってきているのかもしれない。
北方領土の日であると暴走が増すというのは、一つの発想ではあるが、それは古い発想である。高度経済成長に翳りが見え始めた頃登場した、この暴走族という集団は現在に至るまでに3つの時代に分けられると筆者は考えている。
第一に、ツーリングクラブの時代。バイク仲間、趣味としての走り。これはおよそ、大学生や社会人が主体だったと考えられる。蛇行、曲乗りなど、危ないけれど趣味の範囲。
第二に、右翼の親衛隊の時代。ちょうど全共闘全学連などが明け、高校や中学にいたるまでが大人文化・常識社会に対して何かを主張する時代の流れを引きつつ、経済成長の弊害(家庭空洞化等)をもろに浴びた子供達の反発の場として、暴力性を伴った走りがあった。この頃の主体は高校生くらいの年代で、中学生ではまだ見習い程度だったと思われる。この頃から暴走族が非行として認識され、社会問題化されていく。他チームとのテリトリーを巡る抗争がある一方で、県内で連合体を結成するなど、一つの地域に愛着を持ち結束しあう。一つに執着することは、他を排斥することでも有る。こうした性格は、現在の右翼思考に通ずるものである。実際、かつての暴走族であった何人かに、現在右翼的活動を積極的にアピールしている方々が居られる。彼らは走ることに加え、喧嘩にも精力を尽くしてきた。何かその責務とか信念といったものに、強く拘束されていた感がある。暴走族を卒業したメンバーの多くは、いまの社会において、その経験を活かしている。
第三に、暴力団(やくざ)の親衛隊の時代。これは昭和・平成の節目から、現在に至るまでの時代といっていい。80年代後半を機に、道路交通法が厳しくなり、各チームや連合体の統制だけでは活動が難しくなったことも一因であろう。暴力団としては、薬物の消費者拡大、上納金の増加を見込んで、チームのバックにつくようになる。むろん、それ以前から関わりをもっていたグループもあっただろうが、リーダーだけで統制を保つことの誇りの強さは、時代によって異なると思う。暴力団は基本的に右傾である。したがって、両者の接近は意外と容易であったのではないだろうか。この頃になると、低年齢化は着実に進行し、中学生でも一員として認められてきている。この時代では、走りはあまり重要な意味を成さない。バイクもほとんど盗用で、愛着が乏しいように思われる。それよりも、上納金のために軽犯罪を犯すことのほうが彼らの重大な責務になってきている。
北方領土の日に敢えて暴走行為をするのが右傾だというのは、かなり偏った思考かもしれない。しかし何らかの因果関係があってよい。考えられるのは、近年の旧車会と呼ばれるグループの登場である。これは、古い改造車を愛好する元暴走族メンバーが集まって活動するもので、おそらく第二の時代の者ではないかと思われる。彼らは、現在の自らと嘗ての自らを一つにして今宵へ持ってきたのである。それは、暴走族文化が珍走団などと否定される中で、第二の時代と第三の時代は異なるのだということを暗に伝えようとしているのかもしれない。私もこの点に関しては、逐一主張していきたいとは思っている。
また、本題を書く前にプロローグが長めになってしまった。けれど、第二の時代と第三の時代を比較しておいたから、あながち無駄ではなかっただろう。広島における、暴力団と暴走族の因果関係である。
このネタを拾ったのは、6日のゼミ打ち上げであった。どういう経緯からでこの話に入ったのか記憶にないが、教授から「なぜ広島は、暴力団の影響力が強いのか?」という問いが出た。勿論学生は答えられない。私は密かに、「原爆投下被害都市だから、右傾組織が発達しやすい環境なのか」と推測した。けれど、着眼点は合っていたが、教授の答えは違った。よると、「原爆投下によって、表社会と裏社会のすべてが破壊されてしまったので、裏社会・闇社会が急激に成長した」のだという。町内会などの地域的結束や政治家・有力者の結束、コネが一瞬にして破壊された原爆。ゼロからスタートしたとき、その復旧ペースが速いのは闇社会であった。さらに、終戦直後は闇市などの草の根的裏社会が人々の活力を支えたが、その背後に収益を得ていたのはヤクザであったに違いない。東京や大阪などの大都市圏では、激しい空襲などあったものの、社会そのものが壊滅することはなかった。戦前、いや中世・近世から受け継がれてきたかもしれない人々のつながりが断たれた広島では、闇の力が強いのだという。
いま、広島の暴走族の凶悪化は全国的に知られている。初日の出暴走と同じくらい注目されていると思う。かつて、広島の有名な祭り「とうかさん」で、暴走族が暴徒化して警官隊と衝突する事件があり、一躍全国的に広まった。
Youtubeには、過激化する廣島族の映像が登録されているので、ちょっとご覧戴きたい。
暴走族VS警察 仁義なき死闘伝説1

1だけでも恐ろしさが充分感じ取れるので、2は省略させていただく。というか、2は警察の勝利の色が濃厚なのでつまらない。各自でアクセスしていただければ、と思う。
暴走族取材班
これは、広島市民と県警が結束し必死になって、暴走族全滅と非行少年の更生に努める姿を中国新聞が追ったページである。最近の更新は見ていないが、1年ほど前に全記事を読んでいる。
この記事の中にも、暴走族の背後に忍ぶ暴力団(面倒見)の存在が描かれている。繁華街に高級車を乗り入れ、集会などに顔を出す闇組織の存在。上に述べたように、これは第三の時代の特徴であり、全国的に増加している傾向であることは確かだ。
けれども、教授の話を踏まえてみると、この状況は少し他地域とは異なるように思える。即ち、広島は現在にいたるまで、地方中規模都市である。中国地方の中心ではあるが、東京や大阪のように文化を発祥させる都市ではない。当然、ツーリングから始まる暴走族文化も東京方面から伝わってきたことになる。ところが、広島には第二の時代が存在しなかったのではないか。つまり、バイク好き青少年や非行少年が自力で広島を拠点とする活動をすることはできない。闇社会の力が他よりも強いからである。したがって、他地域よりも早く第三の時代へ入り、そしてより根強く浸透してきているのではないだろうか。広島だけが、これほどまでに凶悪化し、注目されているのには、このような背景があるのではないか。またこの問題は長年染み付いた広島の性格であり、長期化する恐れがある。