『日韓 新たな始まりのための20章』という書を完読した。これは、『嫌韓流』『嫌韓流2』の分析、検証、批判本である。といってしまえば早いのだが、そういうと大抵、サヨクに塗れた平和主義だの自虐史観だの非難されがちな昨今である。確かにそういう臭いは至る所で読み取れるが、大事なのは「被害者意識」とそれに基づくともいえる「攻撃性」を持論展開の中で排除しているということが、いかに嫌韓流その他巷で騒がれる右派的議論より高等であるかということに日本国民はさっさと気づいて欲しい、ってのが相変わらず私の考えである。別に自虐史観に追随しろとも、永遠に謝罪し続けろとも言ってない。むしろ加害とか被害という観点で歴史を見ることより、これこれの事象がこのような要因によって必然的に起きえたのであり、それらに対して(その行動が今日あるいは戦後断罪されたとしても)全力で当時の人々が当たっていったことに一定の敬意を示す必要がある。その行動や事象を分析することで、今後日本の動きを模して周辺アジア諸国が発展していく過程で、過ちと見なせるものを同様に犯していかぬよう勧告する権利と義務を負う。それが日本なのだよ。毎回言い飽きたので、細かいところの感想を書こう。
まず、題名に「日韓」と来たものだから、日本と韓国の関係がテーマだと思った。それで、先回読んだ『日本との戦争は避けられない』(中国での反日活動、憤青の実態)とある程度比較できるものがあるのじゃないかと思った。確かにその成果はあったが、それは後述することにして、今回のは嫌韓流批判、即ち日本と「朝鮮」「韓」との関係における歴史を根源とする諸問題についてであった。植民地支配者と被支配者の関係から生じた、現在に至るまでの様々な問題。それは竹島のような領土問題や過去の清算といった戦後補償の問題だけではない。1910年の韓国併合以来、終戦にいたるまで続いた人的資源の強制的移動(戦中の強制連行を含む)が、こんにちまでの在日朝鮮人問題を生み出している。これはとくに戦時中の強制連行によるものだとの認識が一般に強いが、実際私もそうだったのだが、1910年以後の朝鮮での土地買収などの政策が、農村での貧困を拡大させ、嫌韓流が「自主的」と主張するような、労働者の内地流入が起こった。これはある意味、日本による意図的な人的資源の強制移動であり、「自主」でなく「やむをえない」選択であった。農村から押し出せば、都市部、内地、あるいは満州へと移住せざるを得ない。それが上手く占領地拡大につなぐことができるわけだ。「植民地支配は韓国を豊かにした」という主張が、親日の多い台湾と同様に、反日の強い韓国に対しても為され始めている。大きな歴史の流れで見れば、韓国や台湾はアジアの代表的な先進工業国に発展したのであり、その基盤が日本の植民地時代におけるインフラ整備や設備・技術投資によるものでないとはいえない。しかし、少なくとも支配下の時点では、搾取の傾向が強く、それは現地人にとって永遠に受け入れがたいということを認識しないといけない。結果に至るまでの全てが正しかった・感謝されるべき、とか、全て誤っていた・謝罪すべき、といった相反する議論が、やっぱりいずれも被害者的で何か評価を求めているように思えてならない。歴史的な自国(民)の行動に、自信がもてないことの表れだと思う。結果的にこうだ、というのを素直に認めてそれが歴史だ、ということに何故ならないのか。あ、それた。仮に、戦後残されたインフラや設備、補償に代わる経済支援が韓国の発展に寄与したとしても、植民地支配下における搾取の政策は韓国民にとって受け入れられるものではない、ということを単純に認識すればよいのだと。結果にだけ自信をもち、その過程においては数々の問題点があったことを分析して認識する、これが日本人の近代史に対する反省や清算に欠かせない要素じゃないかと。
在日の問題は、あんまり自分の中で意識してこなかった。これは反省。日本と韓国、日本と中国といった国同士の関係でものを見てきたから、内在する国際問題について、深い考察がなかった。そもそもは植民地支配に起因するとしても、現在実際に居住する朝鮮人に対して、その営みを絶ち、認めない差別が半世紀以上にわたって続いているということは、まったく周辺国にとって模範にならない。近年安い労働力として流入してくる南米系や中東系の人々とはまた違う背景をもつだけに、日本人の排他的意識が働きやすい。加えて、北朝鮮の拉致問題やミサイル問題などが、朝鮮人攻撃を強める引き金となっている。大東亜共栄圏や民族協和を、戦中のスローガンとしか見なせなかった反省も、こうした差別の継続につながっていると思う。何を認めて、何を認めないか、うやむやのまま楽なほうを選んできた結果が、差別を引きずっている。対内的にも結局同じことなのだ。ただ、細かい部分はもっと学ばないといけないと思った。概観はこれでもいいけれども、もっと情報量、知識量を広げておいたほうが論じやすい。そういう意味で、在日の問題に関してはいい啓発になった。
そろそろ、「後述」に入ろうかと思う。それは、韓国の戦後史と現在、というのがテーマである。中国での反日、いわゆる「憤青」の動向と比較できるものがあるのではないか、という予測はほぼ当たった。韓国では近年、植民地統治下時代日本に協力的だった親日派を断罪する動きがある。同時に、日本の戦後補償や強制連行、慰安婦問題をあらためて問いただす裁判請求が活発化している。日本ではこれを、慢性的な反日の激化として応酬する傾向があるが、このような「反日」に見える動きが活発化したのは、1980年代の民主化進展以後のことである。それまでは、冷戦下での反共政策と経済発展が最優先され、また朴正煕、全斗煥独裁政権の下で言論・表現が徹底して抑え込まれてきた。日韓基本条約でも、過去の清算はうやむやにされ、経済支援のみが優先された。これに対して国民は何も拒否活動を起こせずに、その条約を受け入れる結果となった。こうした鬱憤が、民主化の進行とともに噴出する結果となったのだ。これはどこか、中国における文革時代を経験した人々の憤青行動に似たところがある。即ち、両者とも憤りのはけ口は日本に対してだが、その本当の矛先は自国政府に向けられているのだ。自由に思考しモノが言えるようになったとき、それまでの抑圧は何だったのかということを問いただす場が、反日的活動に現れている。国民の言論を統制し、表向きだけの親日を続けてきたことが、両国ともここで仇になっている。しかも、これに情報化社会の進展が大きく寄与している。だから真実でない攻撃性の強いものも氾濫してくることになるのだ。因みに国民党独裁政権から民主化に成功した台湾では、この傾向があるかどうかまだ判断できない。
書いているうちに、ふっと気が付いた。日本でも、抑圧解放の鬱憤晴らしが現れているのじゃないかと。すなわち、近年の嫌韓流諸々の右派的言論の活発化は、単に高度経済成長の中で無視されてきた歪みや多党制政治の混乱、バブル崩壊等々のような生きる意味を失わせる社会現象のみに起因するものではないじゃないかと思ったのだ。こういったことによる被害の意識が、差別など排他的、攻撃的言動を加速させるとは思う。けれども、中国や韓国が改革開放や民主化を通じて、またインターネットを介して噴出しているのに、その先を行く日本に同じ傾向がまったくないとはいえないはずだ。では、戦後の新憲法で既に表現の自由が保障されている日本において、いかなる抑圧からいかなる解放が生まれたというのか。その解放の節目は、実は昭和から平成への元号の変化だったのではないか。はっきり言って、これはたった今の思い付きである。確かに、今まで昭和と平成の社会現象の変化を追ってきて、昭和では守られてきた一つのポリシーが平成になって瓦解したという結論は大体出ている。そして、その原因は昭和天皇の崩御にあると考えている。昭和天皇は、戦争責任を問われかけたこともある、戦前の様々な政治決定の生き証人である。一方で終戦後は人間宣言をし、新憲法の下で国民の象徴として、あらたな日本をまとめる役割を果たしてきた。この、1945年で不思議な切替をしながらも、日本の歴史的に難しい2つの局面を生きてきた人物が亡くなったとき、タブーとなっていた議論が悪性な形で噴出し始めたのだ。もちろん悪性化させているのは自身を喪失させるような社会現象であり、物事を浅薄で刺激的に報道するマスコミである。平成は天皇を軽視できる時代となった。昭和天皇の下で戦争の被害者として統合されていた国民が、その崩御によってバラバラに主張するようになってしまった。戦後まもなく、当時の日本国民が戦争について、空襲や原爆投下、沖縄戦などの被害意識が優先され、対外補償や分析を後回しにしてしまったため、その議論が半世紀近くの空白を経て平成に変わったとき、ようやく始まった。中国や朝鮮を攻撃しながらも、その矛先は自虐史観を表向きに示して議論や分析を敬遠してきた自民政権や一般社会の常識、そしてそれを統合してきた一人の人間すなわち天皇に対して密かに向けられているように感じられる。正しかろうと正しくなかろうと、そういった歴史を何かしら語ろうとすること自体が何となくタブーのように扱われてきた時代が去った。それが日本流憤青の時代を呼び起こしたのではないか。
ぐちゃぐちゃと思考していると、不思議といろいろな糸が絡み合ってくるものである。まさか、昭和―平成の関係がこっちにつながってくるとは思ってもみなかった。研究しながら礼賛してきた昭和が平成人にとって一種の圧力世界であった、ということに気づくのは難しい。中国の憤青や韓国の動向によって、はじめて気づかされたといえる。これは新たな研究のポイントになりそうだ。面白いもん、見っけ。朝になっちゃったので、お休みなさい。実に4時間近く書いてしまった。
蛇補足
戦後補償は講和条約ひとつで「解決済み」などと言っているから、日朝平壌宣言で拉致問題は「解決済み」などといつまでも逃げられるのだ。歴史は繰り返す。しかもその鏡になっているのが、アジアでは日本だということ。日清・日露戦争の勝者は誰だったのか、アジアでのその責任は大きい。逆に諸国は、そういう皮肉な色合いを存分に発揮して日本を啓発して欲しい。私も留学などを通じて、彼らを唆していきたい(爆。