南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

民主優勢(off)

と期待させておいて、結局は守旧力がはたらく。というか、今どきの冷静思考な人々が民主を支持しているかどうかすら疑わしい。まともな人ほど、一政党に熱を上げることがなくなった。スルー力こそが現状維持の原動力なのだ。その現状を何するともなくウォッチすることが他人事としての政治、庶民にとっての政治、それを加速させるのがマスコミの役割。
民主党はね、政策力がある。イメージとしてはそれだけど、実態は「たしかな野党」に没している。与党やその政策に対して批判したり反対したりしていれば、それで野党の役割は果たせるかもしれないが、それだけに没していれば自然価値が下がる。それくらいは共産や社民など小規模野党でもできることで、もっとアクティブな持ち味が発揮できないか、ということ。だから無関心な国民の期待がさらに落ちるのであって、しかも批判の急先鋒を一匹や二匹育てたところで、マスコミに揚足を取られたらさらなるイメージダウンにつながるだけ。「今は野党だけれども」、野党の役割だけを意識していればよいのか。勿論、今はとんでもない法案、改憲議論が盛んで、それを放棄して党独自の政策を練っていればいいとは言わない。けれど、与野党にこだわらない芯がもっと現れてもいいんじゃないかなぁ。
冒頭に守旧力、と書いたけれど、今は守旧力そのものが自民に存在するか疑わしい、ともいえるかもしれない。そのことをぼんやりと考えたのは2年前、北海道へ向かうフェリー上で。その頃、郵政民営化賛否をめぐって自民党内で分裂、造反議員が離党した。そして、広島の選挙区で堀江貴文が自民の後援を受けて立候補、離党組の亀井静香と戦うことになった。この構図が船内のテレビで盛んに報道されていて、なんかぼぅっと自民党ってなんだろうな、と考えていた。
現在の安倍晋三総理は、小泉さんの後継者であるとされる。しかし、実のところ小泉スタイルを全くといっていいほど継承してはいない。むしろ守旧力を復古させた上で、自分に人気がないから攻撃性をもって注目を集めようとした形に見える。具体的には、近頃の各閣僚の言動や金銭的問題、それに対応する安倍氏の姿によって理解できる。これはどこか、森総理に似たところを感じるし、中国で国民に人気のなかった江沢民が「反日」を教育等で強化させることで求心を図った姿に似ていると思った。実際、この攻撃性というものは「ほんねとーく」でも述べているが、平成最大の特徴であり、ウォッチに過ぎぬといえども広範な世代の注目を集める可能性がある。安倍さんには、どこかこれを意図的に用いようとする匂いがある。
一方で小泉さんは、説明責任という点では微妙だったが、日本の為すべき行動を果たしながらも、内外に対する攻撃性はもたなかった。攻撃性をもたなくても人気が取れ、またもたないからこそ取れたともいえる。靖国参拝を攻撃性に拡大解釈していったのは愚民である。彼は政治と国民を接近させ、日本に愛着が持てるように努力したに過ぎない。評価はこれぐらいにして、守旧の話。はじめから「自民党をぶっこわす」と掲げて総理の座に着いた彼は、郵政民営化をはじめとする守旧打破政策で、確かに自民党を壊した。自民党の体質そのものを壊しきれたとはいえない。だからこそ、安倍さんが後に復古させることに成功する。しかし、古い自民党を愛し、培養してきた党員が、自民党を去ったことは確かだ。その一部は国民新党を旗揚げした。だから、「旧自民」という意味での守旧なら、それは国民新党にいますよ、ということ。あるいは旧自由党だとか、旧新進党なんかも90年代の騒乱で離党した守旧かもしれない。
しかしながら、党内はある程度刷新されても、腐った官僚主義的政治はなんら変わらない。これが一番の元凶でありながら、いまだ壊しきれていない。染み付いた雑な金銭感覚と地盤重視が維持されている限り、この辺はまったく変わらないだろう。攻撃性を大事なカードとしている安倍さんには、こうした守旧を壊す意志など欠片もない。他者を思い、自らを戒めながら愛着のもてるものとなるように努力する。この辺り、小泉さんはできていたが、安倍さんはまったく継いでいないし意識もしていないだろう。
P.S.これはほんねとーくに改装しないよ(笑
→2014年02月09日、ほんねとーくに分類