南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

金正日ゲットじゃ

先週は貸し出されていたので『政治の数字―日本一腹が立つデータブック』新潮社新書(著者が元民主党事務局長で結構面白かった)で我慢していた、金正日の本である。といっても、金正日がテーマの本ではない。それなら見飽きるほど軍事や外交、国際政治の棚に並んでいる。これは、金正日が“著者の”本である。しかも芸術のジャンルで配架されている。それは、日本語訳版であるこの本のタイトルが大げさにも『人間の証し』となっているものの、原著は金総書記が1973年に書いた『映画芸術論』だからである。けれど、ざっと眺めてみたところ、各所に「チュチェ思想」の言葉が見られ、かなり哲学的な文章のようだ。長年金正日という人物に注目してきた私にとっては、彼と映画の深いかかわりは常識だけれども、それを芸術全般、さらには人間の生き方、主体思想につなげて論じている著作物があるとは知らなかった。芸術に関心の強い指導者と聞いて考えるのは、芸術を用いた国民心理の操作、あるいは芸術を極めるがゆえに自分の思うがままに政治や軍事を進めてしまう独裁者である。大抵の日本国民は、金正日がそのような人物であるという固定観念のもとに、芸術と指導者を結びつけて解釈してしまうだろう。ところが、彼が我々の考えるほど自由人でないとしたらどうだろうか。もっと普通の人間に近い、庶民の生き方を大切にする人物だとしたら。今回の書はそれを証明するものかもしれない、とかなり期待している。先々週この本を見つけて、大きな衝撃を受けた。彼が朝鮮国民を、あるいは日米韓などを操作し牛耳っているのではない。彼が本当に為したいのは、庶民の暮らしを主体思想で方向付けながら守ることであり、アメリカや韓国と戦争をすることではないのではないか。寧ろ、彼が何者かに操られて、必死にそこから脱したいと芸術的な不本意政策を打ち出しているに過ぎない。書きながら思ったのだが、ディズニーランドへ遊びに来て騒ぎとなった金正男氏が、これを契機に後継者争いから外れ、香港などで大きなビジネスをやっていると聞く。もしかすると、これは父親の指導者(後継者)にさせたくない心理、自分と同じ拘束されたような身分にさせたくない親心が彼を自由奔放にさせているのじゃないか、と。
ま、外観だけの憶測はまた新たな誤った前提を作りかねないので、この辺りで抑えておきたい。解釈は読み終わった後にあらためて作ればよい。