南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

第二次许昌編2:许昌灞陵桥・禹州・长葛(Changge)

昨日は偶然が偶然で良かったけれども、一度便乗してそれに慣れてしまうと一人になったときに駄目駄目なのな。
6時半ごろ何となく起床になって、旅社を退去して、朝飯を食べてから別々の行程を歩むことになったわけだが、いまさら南阳を目指すわけにもいかぬし、証件ないから泊まりはできない。とりあえず灞陵桥を見学して、西へ西へ禹州、登封と抜けて观星台に行けたら、などとここへ来てなお寝ぼけたようなプランニングをしていた。

灞陵桥

まず灞陵桥景区。春節のとき地図上で見落としていたスポットである。来訪する機会があって良かった。駅前から公交5路に乗り、景区を通過して警察学校で下車。5〜10分ほど戻る。入場料30元で少し引いたが、许昌では最も整備された景点のようであるから仕方なかろう。灞陵桥とは、関羽が许昌を出て劉備の元へ戻る際、曹操が見送った場所である。このシーンは三国志演義の中で脳裏にうっすらと残っている。正面のレリーフからこの公園全体に、立派な武将関羽に礼を尽くした曹操を称える匂いがただよう。南へ大きく広がる庭園を、青梅亭など眺めながら進むと、巨大な石橋が現れる。これが復元された灞陵桥である。東のたもとには、これまた大きな関羽の石像がある。でかいはでかいし、精巧で荘厳ではあるが、なんとなくお髭が足らなくないか。
橋上からさらに南を望むと、鉄橋が見える。両端が景区内の林に消えて奇妙だが、これは現役である。すなわち禹州方面へ延びる貨物線の鉄橋なのだ。一度だけ列車が通るのが見えたっけか。でも、歴史を語る公園の目に付くところに、あんなものがあると不気味さを感じる。
橋を渡りきって最奥が、関帝廟である。もともとこの景区はこれオンリーだったのではなかろうか。景区入口とは正反対に、廟が真南を向いているのもその証拠である。廟内には鐘楼、碑林、拝殿に立派な関羽像。回廊には武功の物語が。廟を裏口に出ると、ちょうど園内を時計回りに一周したことになる。設計はこれで良かろうが、30元のために派手にしすぎたな。まぁここまではよし。许昌を見納めることができた。

禹州へ

ここから先は、行き当たりばったりで無謀な計画が破局に終わっていく様をなるべく簡潔に記していきたい。一旦駅前に戻って许昌汽车站に入るも、あの薄気味悪い切符売り場に負けて、汽车西站へ。さすがに登封行きはいなかったが、禹州行きはウジャウジャいた。10元。
けれど、禹州に着いたところで登封行きなどあるはずがない。元来県から県への移動なんて容易なはずがないのだ。禹州に汽车站は3個あるはずだ、と周辺をかぎまわった結果、新たに1個見つけた。これは近郊行きのようだ。
まだ真っ直ぐ帰るには物足りない。そのとき、开封尉氏の兴国寺塔は县城内にあって、开封−许昌間の沿線でも見られる、と聞いたのを思い出した。思いつきでこれへ行ってみることにする。が、当然禹州から尉氏へ行く車はない。その中間点にあたるのが长葛である。ここへ来て県県移動が難しいことを知ったはずなのに、长葛へ行けば尉氏车があると思ったのはあまりにバカである。

长葛へ

今回は何とか第一汽车站から禹州脱出に成功して、10元。途中、无梁という地名が耳に残っているのは、ここで客がほとんど入れ替わったからである。天候がだんだん怪しくなって、水たまりに嵌りまくる悪路もあった。市内に入って、京广铁路をくぐり省道ロータリーの南東角にある汽车站で終着。站内にもぐるが尉氏便はなさそう。ここは火车站に近接してないので、ないのだろう。来た道をしばらく戻って、火车站へ。とても遠く感じられたのは、この行動があまりに無意味で希望も大きくないからだ。案の定ここにも尉氏行きはなく、开封行きが停まっていた気がする。もう真面目に帰ることにした。

やっと降参、真剣に帰路

东站までの道すがら、軽くお腹を満たす。站に着くとほぼ同時に、雨が降り出した。土砂降りの中、开封行きのバスに乗り込んでホッと一息。先輩はどんな一日を過ごしたのだろう。このバス、长葛と开封西站を結ぶ一日2往復しかない、半個人運営の便で23元。切符のかわりに名刺なんかくれたし。
尉氏−开封間で物凄い渋滞に巻き込まれて、長距離バスがずらーーーっと並び、また互いに対向車線を使って追い抜き追い越ししながら、何とか自分だけでも前に出よう出ようとするから、さらにおかしな渋滞になる。このバス群の中に、先輩の乗ったのがないかと変なことを考えたりした。
やっと西站に帰り着いて、外は小雨。濡れながらも、ほとんど歩いて帰ってような覚えがある。行きずりにこだわると、運もだんだん尽きてくるもんだな。これからはもっと計画的に行動し、また即興でプランニングしなければならないときも十分に余裕をもって無理をしないように心がけよう。とくに異国では自分の思うほど自由に動けるわけではないのだから。
ま、とりあえず、この2日間许昌市域を広範に歩いて、きめ細かくなったことは一つの成果といえる。

(map:许昌灞陵桥)