南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

安阳-南阳編5(南阳第二天:武侯祠,汉画馆)

通勤ラッシュに参加?

朝はまたパック牛乳一つ。オバはんに一言かけていこうかと思ったが、誰も構ってくれる気配なし。地図を買って、駅前北方面のバス停に立つ。武侯祠に行くバスは分かっていたけれども、両側とも混雑が激しくて、逆方向の1路に乗車。建设东路のだいぶ東のほう、东苑小区辺りで何気に降りる。26路に乗り継ぎ、昨日訪れた医圣祠の前を通る。この路線は府衙もかすめ武侯祠に至るから、観光専線ともいえる。武侯祠の停留所が今ひとつ分からなくて、一駅ぶん行き過ぎた。かるーく坂を下っていくと、入口。余談だが、南向かいには市烈士陵园があって、古墳のような小高い部分に祠が設けられている。

武侯祠

門前で飲料水の販売が目に付く。説明書きに学割の使えそうな気配があったので、躊躇いがちに学生証を出してみる。この態度が售票員をイラつかせたが、ちゃんと半額の20元になった。券はまたも葉書式。初めての学生証による学割利用であり、案外使えねぇなぁというのが正直な感想。
この日、午前中天候はやや曇りぎみの、連日猛暑のなか歩いてきた身には有難い空である。景区内は木々が取り囲み池を湛えて、適度に湿気をもって過ごしやすかった。若き諸葛亮が農耕を営みながら、知識人と広く交わり大志を抱いていた場所とされる、卧龙の地。後に劉備がここを訪れ、かの有名な三顧の礼を以って軍師に迎える。簡潔に述べてしまっても三国志ファンには強烈な引力をもたらすのだが、かくも盛大な景区を見ると「物語があって、祠か廟があって、自らと歴史の間の距離や景点が語る行間に感銘する」ほうがいいと思ってしまったりもする。さておき。
大門と記念撮影の人だかりをくぐると、南蛇井、ではなくて諸葛井。農耕の際に水を汲んだといわれる卧龙十景の一。一見するとお休み処で、真ん中の井の枠が目立たない。井戸を西端として、東へ大きな池(卧龙潭)が広がっている。これを逆時計回りに一巡する。湖南の草木茂る丘を登ると、读书台。入場早々陰湿なところだが、ここぞ諸葛亮が智を極め視野を広げた、後世に名を馳せる原点といえる。景区内で最も静寂を感じさせる場所のひとつ。もう空腹をおぼえるので、麓の売店でアイスを買い、湖岸に佇んで食べる。
いよいよ山門をくぐる。武侯祠は唐代にはもう建てられたといわれるが、度重なる焼失と修復により現在は明清代の建築様式となっている。諸葛亮とその子孫が祀られる大拝殿。境内で明らかに河南弁の男衆が騒がしかったことくらいしか覚えていないので、やはりカメラは必要だなと思う。大きな碑の回廊があって、岳飛の書したとされる《出師表》などが陳列されている。家族連れが、彫られた筆の跡をなぞったりして、その文字の感触を愉しんでいる。
その後方にある草庐、どうも画像で見てもいまいちピンと来ないとよくよく思い出してみると、、、改修してたわ。どうりで、もっと大拝殿との間が狭く見えたはずだ、木製の足場なんかがごたごたしていた。脇に一本の老木(解説によれば柏)があって、諸葛自らが植えたものとされている。廟を除けば、諸葛の居なんて一番見たいところだし、こうしてインパクトが乏しいのは肝心な部分を見ていないことに起因するようだ。その点、三顾堂や关张殿はまだ良い。この二つがある三顾祠院に入る前に、半月台と西隣の庭を覗いておこう。半月台はたぶん草庐の両脇にあったと思うのだが、確かなのは卧龙道院なる庭園に抜ける西側の方。半月の図案が刻まれた、まぁ物見台みたいなもので、ちょっと視点を変えるのに良い。これが諸葛の天象観察の場だったというのは限りなく伝説に近い。むしろ世を異なる角度から眺める先鋭な眼につなげたい。道院は本来正面が南阳市博物馆らしいのだが、後で表に回りこんでも便所ぐらいしか分からなかった。裏はちょっとした菜園で、細細と植わった花木を観賞することができる。
順路的にはこの後三顾祠院に入るものだが、誠に勝手ながらもうしばらく孔明さんを逸脱させて欲しい。院の北側には一本の農道?があって、東へ真っ直ぐ行けば休息所などがある模様。この道より北側は景区内であって、観光の射程外である。やや鬱蒼とした自然園を潜りぬけると、観測台がある。草むらの中に現れた赤土剥き出しの台地。たったそれだけなのに、面白いもんが態々道標付けてあるな、と。たしかにその辺りだけポカッと開けて*1、光害も少ない河南のことだから、実際夜中に天体観測するなら絶好のプレースだと思った。
三顾祠院に戻りまして。お土産店には、小吃と一緒に、あの諸葛亮必須アイテムふわふわの扇が売られている。大きくなければ買っても良かったが、水滸梁山の大数珠や守り刀同様、あれは大きいほど良いのである(ネタに)。勿論大小各種取り揃えてはいるけれど、正当な大きさになると帯走に困るので可惜ながら放棄。
三顾堂。いうまでもなく「三顧の礼」が塑像で再現されている。崇め奉られているよりも、こういう一情景の中に置かれたほうが映えて見えるね。参観する前後が逆になって、关张殿。こちらの世間では劉備様を差し置いて関羽様と張飛様なので、たとい諸葛亮の祠であっても共有ながら一拝殿構えてもらえるのである。金箔貼り。何処においても2者は立派である、うん。
一通り感銘して、大拝殿のほうから退場。湖岸を歩きながら休息して、最後に区内で気になっていた塔を見に行く。園西端の駐車場付近で、卧龙路を挟んだ対面は烈士陵园である。清代に南阳知府(昨日行った所)官が平安を祈願して建立したとされる、高さ11mの古塔。域内にあると、ちょっと立ち寄りたくなるスポット。
流れるように見物しても心裡には深い記憶を与えるのは、南阳の主役だからでなく、是非とも来たかった場所だからだろう。

汉画馆

ちょうどお昼だけど、引き続き観光。直射日光ガンガンになっている。卧龙路を南に渡って、住宅街に入り南進。車が行き違えるほどの道幅で、若干の汚さを除けば日本と然して変わらない。突如途切れたところに、デデーンとコンクリの門が出現。やはり徒歩圏内だった。守衛さんは昼食中で、この時は気づかれなかった。堂々と館内に進入して、ガラーンとしたエントランスでおぉ涼しい。女性客が二人ほどいたように思うが、ここで初めて気がついた、售票处や检票处がないぞ。あらためて外に出ると、守衛さんが飛び出してきて私を呼んでいる。小走りに門まで戻って、お支払い。学生だろう?と決め付けられて、有難く半額の10元。券はくれない。
ここは、東漢代の人々の生活などを描いた、巨石彫刻絵画群の展示場である。紙も発明されなかった時代、生活の様子や故事神話を記録する手段として、彫刻があった。見ようによっては、紙などに刷られなかった版画の彫り板ともいえるほど、その細部に至るまでの表現力はすばらしい。興味のある天文神話などは展示工夫も良好で、昼休みの静けさの中ゆっくり廻る。最後に門前で、南阳全4点観光完了を万歳する(笑。

帰路

東向きの汉画馆正面からまっすぐ车站南路に突き当たったところに、かなり吹きさらしの飯屋がある。水饺を一杯。もう14時近くなので、後から客は来ない。店主夫婦が餡と皮を広げて、餃子の餡詰めを始める。と、そこへ知り合いらしい男性が西瓜を持ってひょっこり現れる。その西瓜は即カットされ、おみゃぁも食べやぁというように私の傍らにも一切れ置かれる。たまたま店で食事しているだけなのに、ささやかな気配りが嬉しい。
炎天下でしばし公交を待って、南阳汽车站へ。开封はあるかと聞くと、即「ある」と来た。5日分の疲労もあるし、もう鉄路は懲り懲り。運賃が、一昨夜の列車と同額の79元で妙。开封表示のある車に乗り込んでいると、発車時刻(15:20)が近づいても誰一人乗ってこない。まぁ需要が少ないんだろうと思っていると、進路を塞ぐようにして一台のバスが停まり、早くこっちに移ってこいと命じられる。どうも車両を間違えたらしい。售票处と数を引き合わせているから大丈夫だろうが、置いてかれなくて良かった。バスターミナルでは一桁、市内で頑張って客引きしても10人越えるのが精一杯のガラガラ。许昌までは高速道路、その先は省道を走って帰着。市バスで帰寮しているので、19時頃には着いたようだ。

(map:南阳武侯祠(および汉画馆))

*1:元来卧龙岗(臥龍岡)の地名のとおり、市街よりやや小高くなっているので、視界が良いのは至極当然である。