四川大地震は人災だとは決して認めず事後補償もしないけれど、今後の地震災害に備えて復興において耐震施工を徹底していくなら、まだそれは福祉的な政府といえるだろう。もし、それでもなお敢えて耐震などを怠って、新たな災害が繰り返されたときに、被災者の悲しみや支援者との団結を演出し、政府の政治的教育の材料とするならば、もはやその時代には何の効力も発揮されないだろう。リアルとバーチャルが混濁してきた時代には、抽象的な思想の価値よりも、具体的に実体化された思想的価値のほうが好まれるということに気づいたほうがいい。
人間的過ぎる国民と超非人間的な政府という組み合わせが、中国をすんなり受け止めてしまう一つの理由だと思う。