南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

桶狭間・有松

今日は岡崎を予定していたのだけれど、午前中の天候が不順であったので近場になった。名古屋市内で是非見て欲しい歴史町といえば、この有松だろうと思う。よくサイクリングコースで通るけれども、あらためて眺めておきたくなった。先回の御器所に続いて、中日新聞市内面の記事に背中を押された。桶狭間古戦場は付録。

有松への道のり

午後2時、地下鉄ナゴヤドーム前矢田駅でドニチエコを購入し、スタート。目的地の有松まで少々迂回経路。偶々右回りが8分待ちだったので左回りを模索する。立ち席が煩わしくて黒川で早々に下車し、桜通線に繋げるバス路線があるといいなと。黒川12系統*1博物館行きで桜山へ。こんな市内縦断型路線も使える。黒川交差点で信号待ちを利用して駆け込みセーフ。が、この女性運転士に対する印象はあまりよくない。さておき、桜山の地下構内はやけに長くて、無断でさまざまな活動に使われてしまいがちで不安全。この距離を歩くなら終点博物館まで乗ってしまうほうが良かったと悔やむ。車内アナウンスも同罪。比較的新しかった桜通線も久しぶりに乗ってみると、だいぶ馴染んで傷みを伴ってきたなと思った。そうして野並に達したところで幾分躓き。目的地点は桶狭間古戦場に最も近い太子であるが、平部で有松11系統に乗り換えるための野並18系統有松町口無池行きが15:05に発してしまっているのに気づかず、10分ほど2番乗り場で別のバスに並んでしまった。結局野並16系統の同26分発太子行きに乗る。乗換としては最も時間を弄した箇所。この系統は緑区東部の狭い道を左右に頻繁に折れるうえ坂道を上下して、非常に地理を表している。午後4時ちょうど、終点太子着。

史蹟桶狭間古戦場(豊明市)

バスの進行方向そのまま坂を下っていくと名鉄線。踏切を越え国道1号線に出て東に向かうと、間もなく古戦場跡の看板あり。この史蹟は以前にも来たことがある。日本史では忘れられることのない一大事にしては、こんな小さな碑群公園だけでいいのかと今回もやはり思った。河南で官渡古戦場を見てきても、やっぱり桶狭間はしょぼすぎる。いくら熱烈な歴男歴女がいたとしても、ちょっと外国人ツーリストは寄せられないと思った。それでも今川義元の墓や塚にこもる歴史を感じて欲しいかな。

ところで、記事で見た信長と義元の像はどこにあるんだろう。

有松宿(東町)

古戦場から宿場町までさほど距離はないが暑さが酷。それが町に入った途端に涼しさを感じるから不思議である。街並み保存のため、街道筋の一方通行化が進められている。絞会館前は既に6月より東進のみとなり、多少歩きやすいうえ車のない風景を収められる。山車の格納庫や絞染めの土産物店が、絞会館を中心にして点々と並んでいる。小学校高学年のころ一度この絞をやったことがある。この3連休でも訪問者は疎ら。これぐらい静かなほうが良いのだけれど、観光発展には何かね。

桶狭間古戦場(名古屋市)

有松駅のモニュメント。
有松宿の東半分を見終えて名鉄有松駅で一服。同駅の史跡案内板を眺めると、宿場町歩きのほかに合戦場にまつわる古跡めぐりコースが紹介されている。その中に桶狭間古戦場公園というのがあった。これは行ってみるべし、とその方面の市バス系統を探す。5時過ぎ要町11系統に乗り、案内図から推測して桶狭間寺前で下車。目前に大きな池(その名も大池)があり、その奥にこんもりとした森が見える。これぞ古戦場公園と接近するも違うようだ。停留所名の所以である長福寺も今川義元ゆかりの寺で、改修工事中ではあったが追悼の碑に合掌する。また、池と森の間は瀬名陣所跡とされているが、もはや少量の竹すら残っていない畑だ。
瀬名陣所跡と長福寺裏の森
とぼとぼと停留所に戻ると、向かいのJAの前に絵地図が掲げてある。これが救世主で、古戦場公園の位置が分かった。ちなみに有松駅方面の寺前停前には「戦評の松」という、これも合戦古跡の一がある。逆光を避けるため碑(と陽)を背にして松だけ撮った。

大池の北岸から住宅地に踏み入ってすぐ、古戦場公園はあった。バスは一つ手前の幕山で降りるのが適当だった。まぁ見当は悪くなかったし、3つも付録があって良かった。そして、お求めの2将の像はここにあった。万歳。
せっかくお目にかかれたというのに、木洩れ日のせいで不鮮明な2人。
ほかに合戦の布陣や進撃ルートを示したジオラマが造られていたけれど、これは基本的に地域の公園です。地元の子供達が元気に遊んでいた。幕山でも黒川同様タイムリーで(有松町口無池からの折り返しで同じ車両)乗れて有松駅へ戻る。

有松宿(西町)

駅前でカフェラテを買って*2、駅より西の有松の街並み観賞へ。今日初めて気づいたのは、駅の東西で街の特徴が異なること。東は有松絞を軸とした人寄せ的な街づくりがされているのに対し、西町は通りに面した旧家を保存して景観を強調させている。生活感も西のほうが濃い。西陽に向かって歩くため撮影には苦労したが、町外れの熱田方面へ下っていく勾配辺りが最も良かった。西端にある祇園寺こそ、記事に載っていた寺の回廊に囲まれた幼稚園だ。これも探してた。北を望むと踏み切りの向こうにお宮さん(天満社)が見える。街道には、人一人通れるくらいの古い路地がいく筋も交わっている、と書かれていた。確かに残っている。

ちょうど町並みが途切れた頭上にどんと出現する、建設中の国道302号線高架橋。景観地区を精一杯避けても、その空ばかりは守れなかった形だ。

帰り道

野並には戻らないで、要町11系統で笠寺方面に出る。この系統には都合3回も乗った。星崎町で新瑞13系統に乗換。4分乗換は効率良いでしょ。新瑞橋より名城線左回りで帰宅。幕山−有松駅間以外はまったくダブってない。総合的にみて、やはり有松・桶狭間は名古屋の観光名所として大きく推奨されるべきである。

*1:これは黒川バスターミナル発ではなく中切町を起点とするため、周辺停留所での乗車となる。その点煩わしいが、开封公交の12路や18路が思い浮かんで納得する。

*2:西町に入ってすぐ100円機を幾つか見つけ、一歩待てばと悔やむ。