いい加減このカテゴリ名も「鉄」と「路」を隔てて表したほうがいいかもしれない。鉄道とはいえない交通システムに始まり、挙句は航路まで取り上げるのだからな。今回は、ちょうど一ヶ月前に新聞で廃止を知って憂えた県営木曽川渡船の一つを乗っておこうというもの。このアクセスに結構悩まされた。名鉄沿線から河岸まで、徒歩ではやや苦だが交通手段がない。愛西市と津島市のコミュニティバスとレンタサイクルを調べた結果、津島市の「ふれあいバスAコース(循環)」で名鉄津島駅から申塚まで乗ると、愛知県側2航路のうち北の日原渡船場までの約4kmを1kmほど削れることが分かった。運賃は100円で便数も1時間に1本はある*1。問題はこのバス日曜運休。したがって、午前中に退勤できるか臨時休業日の晴天日を狙うしかなかった。
3月を迎えて早々休みとなった今日、やや強風が気にかかるも決行。着いたら昼、では船頭にご迷惑なのでやや時間をずらして出発。名鉄栄生駅に駐輪。予定の電車より20分も早く入場したが、2,3分間隔で出入りする電車を眺めりゃ十分楽しめる。駅構内にある種別ごとの停車駅表を見ていると、ローマ字表記が誤字脱字だらけなことに気づく。Nagoyabeidai(名芸大)とかNshiharu(西春)とか、一体何のために付記しているのか分からん。11:29急行に乗車、須ヶ口で普通に乗り換えて、11:55津島に到着。早いもんだねぇ。駅前で待つこと10分、「はあとふるライナー」と同型の巡回バスに乗る。車窓にそそられる町並みを発見。申塚には独り下車。国道の交差点に出て「すき家」の牛丼大盛でカロリーを充填し、いよいよ渡船場に向けて出発だ。強風のためマスク着用。
この県道津島海津線を歩くのには、公共交通機関がないほかにもう一つ意味がある。渡船がすなわちこの県道の一部だからだ。ただ船に乗るのではなく、道の一部として扱いたいので。集落内は車の行き違える程度に狭く、両側田畑の区間はセンターラインが引かれた広めの道で一貫性がない。それでも県道のため、大型ダンプは人家ギリギリを高速で走りぬける危ない道である。沿道には海部郡らしく蓮根砂糖漬店などあってローカル風情いいところなのに。私も大型車両に煽られながら前進。養老山地が目前というところで、いきなり塩田交差点が出現。案外早かったなと思ったが、45分はかかっておる。
堤防下に渡船場の指示板あり。駆け上がると、上流数百m先に小屋が見える。眼下の岸辺に船着場らしき様相あるも人影なし。この強風では運休か、と内心諦めつつ小屋へ。通りすがりの人とともに、運航日時の説明を読む。水曜と日祝日しか運航してないらしい。運が良かったというか、これは乗らずに帰れんというか。しかし申塚からの道々受けているとおり凄い風である。しばし佇んでいると、小屋から船頭さんが出てきた。多少水被ってもよければ出航してくれるという。予約者もいたらしいが現れず、私だけを乗せて出ることに。相棒の爺さん船頭も出てきて、3人で岸壁に下りる。救命胴衣を手渡され、強風に煽られ手こずりながら着用。エンジンを始動させたばかりの小型船「第八塩田丸」は接岸が不安定。足元危うく、最後は船頭さんに助けられながら飛び乗った。
左岸を離れると、船は先ずひたすら下流に流されていく。確かに川面は波打って、幾分飛沫が降り注ぐもさして気にならない。なんとか揺れに身体を合わせつつ、船上の景色を撮ってみる。
河の中ほどまで達したところで、進路を北西に変える。猛烈な向かい風が顔面を襲う。ここで初めて対岸の船着場を発見。
船頭さんに「対岸に降りるか」と問われ、ハイと答える。向こう岸に降り立ち、「渡りきる」ことに「渡し」の意味がある。今はその機能を失い、木曽川をただ遊覧して戻ることもあるようだ。前半の川下りの迂回は遊覧のみを想定したルートだったのかな。
コンクリと石造りの桟橋に頭から接岸し、錨を草むらにポンと置くと到着。「何もないとこだけど、ゆっくりしてってよ」との言葉に甘えて、まず船着場を見回す。落ち着いて、あらためて「第八塩田丸」と船のある風景を見つめた。
船着場から、木曽川と長良川を仕切る堤防を横断するように小道がついている。木立の中に投棄物が目立つ。今は人が自由に出入りできなくなって、だいぶ減ったと二人は言う。短い自然歩道を抜けると堅固な堤防が現れる。長良川側の日原渡船はここから上流へ数百m行ったところにあり、その対岸も指し示してくれた。岐阜県管理の日原渡船は予約が必要で、この接続の悪さがお役所の問題なところだと二人は笑う。堤の中段に、嘗て使われていた管理小屋が建つ。「ここに住んどるやつもおったでなぁ」と懐かしそうに話す。
ところで、先ほどの船着場とこの小屋とは200mくらい離れており、番小屋としては不自然に思われるかもしれない。実は、嘗て木曽川の川幅はもっと広く、より長良川に近い位置に渡船場があった。流れてきて溜まった堆積物が肥沃な土壌をつくり木々が茂っていくにつれ、堤防部分が太くなり二つの日原渡船は次第に遠くなっていったわけだ。自然歩道の中ほどには湿地帯があり、ここが以前の船着場だったのだと船頭たちは語ってくれた。
船に戻る道々、「就任したばかりの大村新知事は、こんな渡船のことなんかちっとも知らねんだろうな」と話す姿が寂しげだった。
復路は追い風、もう揺れも気にならない。爺さん船頭が、船底に転がっていた棹を川面にさして深さをみている。はじめて木曽川の深度を知った。さっきは気づかなかったが、左岸は右岸のように入り江の形がなく、接岸部に流れがある。着岸が難航するらしかった。さきに私だけを安全に下ろして、後で船の固定と始末をしていた。船頭さん、強風のなか、私一人を丁寧に案内してくれてありがとう。「こんどまた晴れとる日に来るだわ」。機会さえあれば是非そうしたいと思う。
この標、いつまでも立っててくれんかな。
予定していた電車まで余裕があったので、帰りは申塚を通過して津島駅まで歩いてしまった。バスから見た町並み*2も立ち寄った。やっぱいい街だった。15:55発の準急で栄生まで直行。固定型クロスシートの窓辺に座って車窓を楽しもうと思ったのに昼寝をしてしまい、危うく通り過ぎるところだった。職安に寄って帰宅。
完