南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

中山道―柏原と各務原

最寄り駅ホームに立つまでは高山線上麻生の納古山に登るつもりであった。標高633mの手ごろな山で明日の仕事にも響かないだろうと周到に準備していたのに、残酷な中央線の08:45発の電車は俺の目前で走り去ってしまった。出だしを逃せば09:57美濃太田発の高山線列車には乗れない。それでも直後に来た08:46名古屋行きに乗り岐阜廻りで間に合わないかと足掻いてみたが、金山駅の特快接続を見て諦めた。同じ高山線でも岐阜〜美濃太田美濃太田〜高山方面とでは接続が悪く20分程度の余裕が要る。東海道線の快速サービスでも敵わないのだ。
そこで代替案として取ってあった柏原宿と清滝山のプランに移行する。これは霊仙山登山口としてJR柏原駅を利用する母が、駅周辺を中山道の宿場町として観光整備したようだと教えてくれたのをきっかけに組んだものだ。近くに標高439mの清滝山というのがあって良いハイキングコースになると思った。新たに日帰り湯として目をつけた各務原温泉「恵みの湯」とも何とか合わせられる。金山で乗った特別快速は米原行きで、乗継なく柏原へ。

柏原宿

10:03柏原着。本来なら美濃太田でやっと高山線に乗ったような時間にスタートできる。駅で散策マップを手にとり出陣。「清滝山で昼飯」を優先すべく、中山道に出たら西へ。街道らしい程よい道幅に、車はめったに通らない歩きやすさ。表に「本陣跡」とか「旅籠跡」とか木札が吊ってあって往時を想像しながら見物できる。柏原宿の名物「もぐさ」の老舗、亀屋佐京もぐさ店“伊吹堂”はさすがに風格ある。
閉店中で大きな福助さんが見られないのは残念。
宿場町の中心に位置する柏原宿歴史館。入館料300円はちと高い*1が折角なので勉強がてら。16分の概説ビデオ、柏原宿や中山道に関する資料、そして「福助の間」。道草やや長し。
振り返るとゆるい坂道と絶妙なカーブが何ともいえない。

街道筋は御茶屋御殿跡の公園で途切れ、しばらく行くと一里塚。
この先に松並木が残っている。たった3本だけれども幹が太い。
道路脇の順路表示に従い、舗装路から谷あいの小道「東山道」へ。ところが200mほど入ると、熊や猪が里へ下りてくるのを防止するためか、山を囲むように張り巡らされたフェンスにぶち当たった。迂回路もなく一歩も進めない。散策道の部分だけ手で外せる構造になっており、「開けたら必ず閉めてください」との注意書きがある。ということは進入を想定しているのだから通ってもいいのだ、と解釈してお邪魔する。囲いの中も決して道は荒れていない。程なく脇道があったので入ると個人の墓であった(お騒がせしました)。目指す「北畠具行卿の墓」は峠の上にあり、結構登った。
幕府によってこの地で処刑された北畠卿は、防獣フェンスにまで守られた閑静な山中で眠る。
そして清滝地区側へ下った俺を待ち受けていたのは、開閉不能なフェンスの扉であった。高さ2m超、やはり山沿いに隙なく張られている。でも今さら松並木まで戻るなんて冗談じゃない。覚悟してフェンスをよじ登り突破した。片方の扉が体重でやや歪んでしまったのは器物損傷かもしれないが、「東山道」が自由に通行できないことを散策マップに明記しておかなかった米原観光協会にも責任があるはずだ。

清滝山

そろそろお昼だ、山に登らねば。清滝地区に入り徳源院を過ぎると、玄関口の清滝神社。
守護神に入山の挨拶。
この山にも例のフェンスはあるが開放されていた。時計回りに山頂をめざすこのルートは、谷間の猛烈な急登で脹脛が悲鳴。下山コースに選ばないでよかった。迫る空腹とも戦い気合で這い上がりながら、時折振り返ると清滝の集落がみるみる小さくなり柏原宿が眼下に見えてくる。稜線にのって一安心、さらに軽く登って30分程度で登頂に成功した。低山だが北と南にひらけ眺め抜群。伊吹山がモロ見え。昼飯が最高にうまい。
山頂から望む柏原宿方面。近江百名山に数えられるのも頷ける。
1時過ぎまで休息して下山にかかる。こっちも案外厳しい坂で、運動靴でも難儀した。「山の神」とか変な名のついた標高表示が点在する。

柏原宿〜今須宿間の史跡

柏原を出る電車は14:44発。残り1時間少々だ。成菩提院を飛ばしてでも寝物語の里へは行きたい。東西に長く隣の宿場とも近い柏原は東隣の今須宿と接し、近江と美濃の国境の溝を挟んで二つの旅籠に泊まった旅人が壁越しに話をしたという伝説がある。柏原宿の西端から東端より先を目指すとはやっぱり無茶だったな。でも田園風景は癒された。結局白清水まで達して残り30分、ここから約1kmを往復したら間に合わないと分かって断念。この白清水も中世の仏教説話「小栗判官照手姫」にまつわる伝説のあるスポット。清水が姫の化粧で白く濁ったことから、その名がついたなんて美しいではないか。柏原駅に戻る街道沿いにも照手姫由来の地蔵がある。
難病に冒された夫を運びながらこの地に達した照手姫は、地蔵から病治癒のお告げを授かったそうな。
また八幡神社には松尾芭蕉伊吹山を詠んだ句碑がある。余裕をもって10分前には駅に入る。登山ではしっかり汗かいたし、良い運動になった。

各務原(炉畑遺跡と恵みの湯)

各務原に向かうために大垣と岐阜の2回乗り換えなければならないのと岐阜駅での23分もの待ち時間が、納古山プランを優先したかった最大の理由だ。鉄道の発達により中山道の移動は随分便利になったけれど、同時に一筋の道ではなくなり接続が新たな障害となる。まぁ一度イメージングしたとはいえ、今日は成り行き進行なのだから不満なし。
高山線の岐阜〜美濃太田で途中下車するのはこれが初。各務原は北出口だと想定していたから、駅舎が南にあってホッとした。めざす各務原温泉「恵みの湯」は当駅から1km強。しかし北出口の遠回りなイメージが先行してしまい、駅前の道を推しながら歩むもオーバーラン。岐阜車体の工場から退勤する大勢の労働者に流されて、炉畑遺跡まで行ってしまう。
温泉を探す焦りと軽い空腹でゆっくり見る余裕はなかったが、竪穴住居が5個も再現してある史跡公園は珍しいと思った。
炉畑遺跡が行き過ぎなのは分かっているから、少し北へ戻るとあったあった。
スパというよりは一回り大きな銭湯で、入浴料550円(平日は500円)と安い。今日の変わり湯はヨモギ湯で、熱すぎない適温の露天風呂に香りが満ち満ちて幸福。ただ一つぶったまげたのは、洗い場の蛇口から凍りつくような冷水しか出ないことだ。心臓止まるかと思った。水浴びた後に湯に入るとよく温まるのかもしれんが、温度調整させてくれよ。気のせいか洗ってる人が滅多に居なかった。
着くのが遅れたし30分じゃ勿体無いので、電車を30分遅らして温泉を堪能。湯上りには一瓶の牛乳が欠かせない。
各務原牛乳。さっき道に迷ってたときに同社の前を通った。
今度こそストレートに結んでやる、と力まなくても、名鉄踏切を渡って国道21号を伝うと12,3分で戻れる。次は納古山登頂でリピートするぞ。18時過ぎ各務原を後にし、太多線経由で帰宅。
半年以上ご無沙汰した日帰り旅。街道歩いて、山登って、温泉浸かって、特快電車と鈍行ディーゼル列車に乗れて、全く上出来でございました。

*1:この規模なら200円に収めてほしい