昨夜母と明治28年発行の名古屋市地図を眺め、記載された地名や施設名のインクが滲んだ小さな文字の判読に挑んでいた。その中で、現在の中区新堀川流域に書かれた地名を、「字前津小林」と読み取ったのは俺。事前知識として大須にある史跡「前津小林城」を知っていたから閃いた*1。たぶん明治維新以降も暫く、城主の有する領地や荘園が残ってそう呼ばれていたんだろう。
ほかにも、新堀川の古い流れや池の存在(中区千代田の大池?)、現在のオアシス21辺りにあった師範校の謎など不可解なものが噴出して議論は尽きず。
現在は主要県道となっている江川線も嘗ては堀川に並行する川だった。庄内川の氾濫水が名古屋城下側に流れ込むのを防ぐため、並行して整備されたのが新川。江川も堀川のそれなんじゃないかと思う。堀川の東は台地なので町が浸水することは先ずないだろうが、役割としては考えられなくもない。
*1:2012年04月30日記事参照