南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

『羅生門』を学んだ若者たち

おばあさんを蹴っ飛ばし身ぐるみ剥いで闇に消える。現在とは、(私を含めて)そんな未来のない小説を勉強した高校生が社会人になった世の中だ。出版社が異なっても採用される作品は画一化の傾向にあるそうだから、たとえ現代国語が不得手でも授業に出席している限り(堂々居眠りしていても)催眠術のように講義を聴かされている。無意識でも、もとい無意識に、むしろ無意識だからこそ、成長途上の若き心に荒んだ小説を咀嚼抜きで吸収していることの危険性は計り知れない。『羅生門』に罪はないが教材文学の吟味と多様化が好ましい。