南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

平原編5:新开城际公交

平原編4:鹤壁(Hebi)浚县(Xunxian)浮丘山よりつづく)
何かと相性の悪い新乡だが、公交(バス交通)施策の面では非常に高く評価している。昨日見かけたレトロ風車両の導入も然り。市内限定路線と郊外延伸路線との運賃格差設定*1と、後者の市内快速運行は、乗車区間が重複しても運賃で乗客を分散させる有効な策だと考える*2。そして、この城际公交(都市間バス交通)もその一つ。近隣の大都市郑州や开封と結ぶ路線もさることながら、注目すべきは新乡地级市域内の县および县级市と新乡市区とを結ぶ公交の充実度だ。ここにも大都市間移動クラスの大量輸送型車両を導入し、10-20分間隔の流水(随時発車)運行をしている。これは省都郑州でも及ばないのではないか。今回早朝のみながら、原阳(Yuanyang)、延津(Yanjin)、长垣(Changyuan)各方面を往来する大型バスを確認でき、おそらく全县カバーしているものと推される。しかも辉县に至っては2008年時点で既に存在している。まだ郑州との間に城际公交が開通する以前から、新乡の大量輸送政策は動き出していたのだ。同じころ开封では、市区と域内の杞县を結ぶ路線が漸くマイクロバスから中型バスに格上げされたばかりだというのに。私鉄や地方鉄道が存在しない中国では、中近距離の大量輸送システムを発達させることは非常に重要だ。
車両はすべて、郑开城际公交の車両と同型同色。あの紫色というのは一種の河南カラーなのかもしれない。辉县行きのボディカラーは2008年当時、赤みの強いオレンジ色だったと記憶しているが現在はどうだろう。


典型的な河南スタイルの城际公交車両(右奥)。画像の郑开城际公交などでは、側面に河南のシンボル「象」が描かれる。

街がまだ青く染まっている5時過ぎには售票处へ並んでしまう。ネット上で20元と確認してきた運賃は実際には28元で、ここ一二年のうちに上昇した感がある。それでも長距離バス時代の37.5元(开封中心站-新乡客运总站)に比べれば、ずっと安く利便性も向上した。さきの20元は东站発着のだと考えれば、これも長途バス時代の31元(开封客运西站-新乡汽车东站)よりははるかにマシということになる。これで始発のバスに乗れるのかと思いきや、一向に改札が行われない。ガラス戸の向こうにバスは待機しているのに、切符を見せるとまだだという。ソワソワ焦らされたと思うと、やおら检票を行い我々をターミナルの外へと連れ出した。表の路上には既にバス*3が横付けしており、これに引き継がれた。どうやら始発は东站起点で总站経由なのらしい。幸い座席は余裕があった。あんなに待ち焦がれ夜を徹してまで固執したくせに、車内ではすっかり寝潰してしまう。おかげで写真も撮らず、車窓も楽しまず。ひとつ記憶しているのは封丘の汽车站に進入したことくらいだ。現在の城际公交は长途汽车よりも定時運行と快速走行を重視するから、経由地の延津と封丘ではバイパスを通り、郊外のバスターミナルに寄る。昔の开封金明汽车站みたいにガランとした殺風景なターミナルであった。
ふと気がつくと、杜良(Duliang)を過ぎ开封市の東端「火电厂」に達していた。途端に“回来了!”の感激が込み上げてきた。昔も今も変わらぬ开封へ東方から入城する長距離バスの定番ルート、新宋路-滨河路-解放路を経て中心汽车站へ到着*4。所要約3時間、相変わらず黄河渡河は迂回なので大幅な短縮はない。それでも目立った渋滞や煩わしい途中乗降が頻発しないだけ随分快適になったのではないか。その証しに2時間以上しっかり爆睡できた私であった。

今回河南では初めての飛び石渡りの転戦型旅行。楽しいこともあったが、概して疲労が大きかった。地理や移動効率だけでなく体力や回復度にも柔軟に対応できるようなプランニングが必要だということが分かった。ウォークできるのはほぼ隔年なので今後もこのような転戦型で盛り沢山の企画は避けられないが、齢を重ねれば疲れ具合も変わってくると思うので注意せねばならない。
主に移動効率の調整で滑县を飛ばしたことにより第二次安阳編へ残すことができ、代わりに鹤壁の浚县を歩けたことは価値があった。

(平原編 完)
开封帰郷旅行2014は18日まで続きます。

*1:2008年当時は1元と1.5元、現在は1元と2元になっている模様

*2:2008年02月17日新乡文中参照

*3:例に漏れず河南パープル

*4:2009年10月、新开城际公交を初めて目撃したときは中山路方面から東進してきた記憶があるのだけど...