南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

郑州地铁(郑州2014年号)

许昌第三次(许昌学院)よりつづく)
白酒の香と一夜の興奮冷めやらぬ早朝、静かに出発。南へ暫く歩き莲城大道に出て、公交2路(たぶん)で许昌东站近くの仮設みたいなバスターミナルへ。南方各地を発してきた郑州行きの長距離バスが駐留し、流水で客を拾っていく。先輩と硬い握手を交わし、乗車間際に25元*1徴収されて许昌をあとにする。
ひょんなことから、中国にまた一つ「家」ができた。今後の河南ウォークで新たな拠点になるだろう。なるべく間隔を空けずに再訪したいものだ。

许昌から郑州へ

ボウッと車窓を眺めていると、次第に激しい二日酔いが襲ってきた。狭っ苦しい車内で隣席にも客が固めており、不快感は増すばかり。绿茶飲んだりして凌いでいたが、耐え切れなくなって小袋を取り出しゲーゲー。結局胃液ばかりで吐瀉物は出なかった。途中长葛の汽车站で停車するも、ちょっぴり懐かしさは覚えたが一歩も動けず只管俯いて荒い息を吐いていた。早く外の空気が吸いたくて、郑州市街に入ったと思うやどこかも確かめることなく他の降車客に釣られるように転げ降りた。乗り継いだ公交路線と後方に見えた高架道路から、そこは大学路南环路だと推せる。暑さと頭痛と吐き気でどうしようもなくて、冰红茶を一気飲みして暫し朦朧と座り込んでいた。しかし、一人旅は独りで完遂しなければならない。苦難の道を耐え抜いて郑州に辿り着いたのだから、その目的は果たさねばならない。そう自分を奮い立たせて火车站行きの53路に乗り込んだ。これがまた各所で渋滞に巻き込まれて遅々としたゴーストップを繰り返し、何度途中でリタイアしようと思ったか。満員でほとんど身動きとれない上、掴まれる柱や握り手も限られる。ザックを片手に提げ、この著しい不快感のさなか右手一本で自らを支える制約。同じ体勢で我慢していると余計酔ってくるので掴まる位置をかえてみるのだが、これまた目前の席にむずかる赤子がいて祖母?が宥めるのに苦労しているのでかれらを圧迫するような姿勢は取りづらい。まったくしんどかった。京广铁路をくぐったところで現在地が掴め、やはり辛抱ならずに下車。火车站と陇海路の間に位置するこのエリアは巨大な商業施設が集中し、歩行者天国に近いくらい賑わうため、当然バスなどは詰まるのだ。かつて火车站と客运南站*2を移動するのにちょいちょい歩いたりしている所。
酒酔いには水気と適度な歯ごたえのある果物が一番。露店でスイカ8分の1カットを求める。人目構わずガブガブ食べたらかなり元気になった。昨日酒宴の場でスイカを所望したら街で食べなさいと言われた。河南に来たらスイカは玉単位で食べるのが楽しみなんだけれど、今回はその機会を逸した。こうなったら道すがらスイカ売りと出くわすごとにワンカット買って、街角スイカ狩りウォークでもしようかと本気で思った。実際それ以上は食わなかったけれど、スイカによる体力の回復は凄まじかった。

火车站~二七广场

ホームグランド开封を除き、最も訪問回数が多く最後に離れてからの経過年月が短い郑州。4年8ヶ月もの間ずっと恋焦がれてきたものが目前に。


これが撮りたかったんだ。この駅ビルは絶景だよなぁ。Google Earthと見比べてほしい。

 长途汽车中心站。二马路站も健在らしい。タクシー乗り場やバス乗り場といった駅前広場の構成もさほど変わってない。
さっそく地下鉄の出入り口を探したが一向に見つからない。それもそのはず、郑州地铁の火车站站は近年新設された西口側に造られていることを、最新の「郑州市交通图」を5元で買って知った*3。日本と違って駅の東西を改札外でつなぐ連絡通路的コンコースはなく、西口へ移動することはできない。でも折角だから新しい西站房も見てみたいので、二七广场まで懐古がてら歩いて火车站へ戻る形で初乗車を果たし、あらためて东站方面へ折り返すことにした。重複でも2回乗れるのは良いことだ。しかし従来から東口が表玄関として機能してきた郑州火车站で、東口から地下鉄に乗れないのは不便だし戸惑う人も多いだろうと思う。とくに列車利用の外来者で郑州站と郑州东站を相互利用する方々には分かりやすい誘導が求められる。
懐古散策といっても、よく行った書店や丹尼斯、百盛のある人民路まで行く余裕はないのが惜しい。そのコースを上手に辿ってくれるのが电车101路でしたね。
 正兴街福寿街口に电车の架線が残ってた!!
火车站北乗り場のほうは撤去されていた気がするので、もう廃止されてるかもね*4。この真下を地下鉄が走るのは新時代の証しか。そいえば前回の訪問で注目したBRT(快速公交)は、衰退することなく地下鉄を補完する役割を果たしているようだ。
二七广场が目前に迫るころ、とうとう発見したぞ、地下鉄出入り口。

いかに多様な交通が発達しようとも郑州の揺るぎない中心地、二七广场。
 いつしか登れなくなった二七塔。
 歩行街を含む6本の道路が入り組み、外資の広告塔が入り乱れる交差点。ちょうどこの正面に一時期だけ回転寿司屋さんがあり、意外と新鮮なお寿司を堪能した思い出がある。

郑州地铁試乗

二七广场 to 火车站

 各出入口には数字でなくアルファベットが割り振られている。
ただ乗るだけじゃ勿体無いので駅構内の雰囲気を少しだけ。
 
郑州轨道のマークは中原や中州の「中」に殷商時代の青銅器の文様を模し、黄河をイメージした黄土色で塗られる。郑州一都市の地下鉄というよりは、河南省の地下鉄ともいえるようなデザインだ。古代王朝が数々築かれながら現代における経済力で低く評価される河南で地下鉄を開業させたことを広く共有し誇りにつなげたい思いがあるのかもしれない。
 券売風景。比較的平和な河南でも手荷物検査機は設置されている。
初乗り2元、最高運賃5元。券売機は北京や上海のと同様で迷うことはない。
ホームでは先頭車両を撮ることにかまけて周囲の観察を怠った。入場速度は速くガラス製の安全扉で完璧に仕切られており動態撮影は無理に等しい。駅員が警備員みたくウロウロしているので、自然な乗降に徹することにした。
 この原色ペンキで力強くかいたような駅名は格好いい。

郑州火车站西广场、郑州火车站地铁站 to 郑州东站地铁站

誘導表示に従って地上を目指すと、どうやら地下駐車場を経由する形になった。
 
右の画像では壁面に殷代を思わせる文様が刻まれている。この文様を是非撮り入れたくて、日光照りつける広大な空間を下がっていくも駅舎が南北に幅広すぎて北半分さえ収まらない。とにかくデカい。
地下鉄駅コンコースには火车站ならではのこんな装飾が。

いわゆる「绿皮车」として親しまれた濃緑色の客車で旅を楽しむ笑顔の人民たち。今月末に郑州铁路局で最後の绿皮车が廃止されるとのことで、これはメモリアルなのだろうか。
郑州东站までは3元。10駅分で3元とはお得じゃないか。

途中の民航路は、开封との往来で利用した德亿汽车站や河南唯一の味千ラーメンがあって懐かしく、降りてみたい衝動に駆られる。

郑州东站


高铁および动车组専用駅。开封で北京行きの切符が取れない場合は今日の昼過ぎ、ここから帰る案もあった。天津という選択肢を思いついたおかげで今こうしてゆとりを持てる。建設前は「新郑州」站という仮称もあったのだが、「郑州东」に落ち着いたらしい。たしかに空港のある新郑(Xinzheng)市との混同も予想されるからね。日本の新幹線駅では新大阪、新横浜、新神戸とお馴染みの形式だけれど、中国では東西南北をつけるのが一般的で「新」を冠するのは異例だ*5。近く開業が待たれる开封高铁站は「开封北」となる予定。

郑开城际公交

市内でも有数の大ターミナルとなった郑州东站なら城际公交も経由するはずだという算段は正しかったが、これまた空港並みに広くコンクリート調の薄暗い構内をたっぷり歩かされた。もともと地下鉄の出入り口は西側に設けられているが、新設途上の長距離バス乗車場は東口にあった。高铁站側に付属する窓口で切符(7年間不動の7元)を買い、50mほど離れた一応真新しい候车楼へ移動。周り一帯は工事現場。
あとで地図を見ると、汽车客运东站(いわゆる新东站)に割と近いのだね。城际公交の発着点はここかもしれない。尤も今年か来年には郑开城际铁路が開業して当駅と开封宋城路站が1時間余で結ばれることになるから、都市間バスの経由はあまり必要なくなるだろうが。
 車窓から垣間見える郑开城际铁路高架橋。ほぼ完工し開業を待つばかりだ。
河南省の郑州と开封を結ぶ郑开城际铁路は、現行の大型バス輸送に代わる交通システムとして留学中からその開通を期待してきたが、2007年時点から既に建設の噂があったのに着工したのは留学終了後の2009年帰国以降。2012年帰郷の折、現在建設中で郑开大道を走る城际公交の車窓から見える、と郑州在住の朋友から聞かされる。さっそく百度地图の衛星地図で確認すると郑州から开封に向かってぐんぐん架橋が伸びてきているのが見てとれる。ようやく現実味を帯びてきて喜ばしかった。そして、ちょうど今回の旅行を検討している最中、ついに!!今年10月か11月に開通するとの情報を入手*6。12月に予定されていたフィリピン旅行との兼ね合いからこの時期まで待つことはできなかったが、昨日会った老师には「今回は郑州地铁、11月に郑开城际铁路が開通したらまた乗るために来中する」と宣言してしまう。まぁ実際、今回郑州地铁試乗が旅行目的の3分の1くらいを占めたように、次回は郑开城际铁路が主役に上ることは間違いない。何しろ七年来の悲願なのだから。
話を郑开城际公交に戻そう。今回は移動手段としての利用に終始したため、現在郑州と开封の双方どのターミナルからどのような系統が発着しているか、把握することはできなかった。开封に関しては、少なくとも15日午後利用した西站と今日終着点となった中心站では発着が維持されているようだ。尚、开封金明广场南東角にあった郑州行き乗り場は既に廃止されている。
14時すぎには無事开封へ帰ってきて、火车站向かいの食堂で水饺を一杯。2時間半後に乗る夜行列車では夕食を摂るつもりはないので、これが本日一度きりの食事となるも、二日酔いの不快感が執拗に食欲を阻害し2、3切れ残さざるを得ず。胃腸の不調は翌日帰国するまで続いた。

体調が万全ではない中で、长途汽车,市内公交,地铁,城际公交と4種の交通システムを乗りこなし、見慣れた光景の再確認と新しい郑州都市像の一見を概ね成功させた。火车站~郑州东站間往復のみのつもりが、二七广场駅利用まで付録がついたし。地铁1号线全線制覇や人民路再訪、BRT撮影といった残務は、郑开城际铁路試乗とともにやろう。そのころには2号线もできてるかもね。

许昌・郑州 完 (开封帰郷旅行2014は18日まで続きます)

(map:郑州东站)

*1:6年前とほぼ変わらず。

*2:現在の南站は先ほど長途バスを降り立った大学路南环路の近くに移転している模様。

*3:郑州地图は3枚目。価格はほとんど変わらないね。

*4:バス路線としての101-104路は残存するのらしい。电车なのかは確認できない

*5:河南唯一の異端児として、洛阳の洛阳龙门がある

*6:実際には10月末試運転、年末正式開業。地下鉄も昨年末開業であり、春節の混雑期に先立つタイミング狙いと思われる