一言でいうと、ここ10年余り隔年などで観測を続けて以来、最悪の結果じゃないかと思う。
今年は極大期間が新月に近くて条件がよく、ぜひ好環境で観たいと思っていた。さらに幸運なことに12日が定休の水曜と合致、近年仕事の都合で行けなかった恋路峠などの山奥を目指すぞ、と意気込んでいた。慌ただしい朝帰りと不眠不休の出勤を避けるべく翌13日午前も休業を決めた。ところが、1週間前から当日の天候が怪しくなり観測地の選定に悩まされることとなる。結局中部地区の12日夜はほとんど期待できない天気予報となる中、最後まで僅かな希望も捨てきれず、12日の日帰り鉄道旅行に付属させる形で恵那市の岩村城址で挑むことにした。これは御嶽に近く最良の星空と信じている恋路峠と、近年近場で代用している瀬戸の山中の中間地点ともいえる。
当初は岩村城本丸での観測を想定していたが、12日午後の下見の際時間の都合で本丸まで登りきれず、また夜更けに石畳を登るのも危険ということで諦め、登城口にある武家屋敷跡地(銅像公園)のやや開けた芝生に布陣した。本丸に固執しなかった別の理由としては、やはり天候が期待できないことで万一降雨が激しくなった場合人家に近いほうが安心できるからでもある。
さて、花白温泉で入浴と夕食を済ませ19時に岩村へ戻ると、登城前に町はずれのデイリーで夜食を求める。恋路峠のとき、野尻駅で降りて先ずタイムリーを目指すのと似ている。風情ある提灯の柔らかい明かりが灯った岩村の城下町。観測地点の足元には「岩村山荘」という旅館があって、21時ころまで花火などの歓声が聞こえた。山間部でありながら人家からこれほど直近な場所で野宿するのは初めてではなかろうか。先述の通り城址公園の一角で、岩村出身の著名人下田歌子の胸像と、勉学所とされる東屋が建っている。低い土塀で囲われていて不審者や野獣の侵入口が予測できるのも、選んだ理由の一つだ。
さっそくビニールシートを敷いて寝転んでみるも、終始曇りがちで流星以前に星空すら望めない。飛行機の運航経路に当たるのか、頻繁に点滅と轟音が通る。その光加減で雲の厚さや流れを読み取ることができる。雲が途切れたり薄まると比較的明るい星が垣間見えるが、星座を形成することは不可能。携行した早見板も一切使わず。あまりにもつまらないので時々下田女史を抱きにいったり、コーヒー飲んだり、近隣に迷惑にならない音量で楽曲を流したりして眠りこけないよう努力した。温泉で生ビールを一杯飲んだので睡魔と闘うのは難儀であった。音楽が逆に眠りを促すと気づき、0時以降は静寂で我慢した。1時間ごとの観測結果は以下の通り。
12日20時台:0<0>
終始曇天。20:30頃にわか雨。
12日21時台:0<2>
終始曇天。雲間から明るい星が二三見える程度。睡魔を堪えるのがキツい。
12日22時台:0<2>
時折薄雲の向こうに明るい光が走る。ペルセウス座流星群は比較的明るい流星が多いので可能性あり。
12日23時台:1<0>
地平線すれすれに明るい光の筋が一本走る。たとえ幻覚でもこれが唯一の成果だと信じたい。
13日00時台:記録なし
ほとんど眠りこけていた。貴重な通信手段であるスマホとは別に、前代のガラケーをタイマーとメモ代わりに持参していたが、これに起こされる始末。
13日01時台:記録なし
1時半ごろ、おでこに冷たいものを感じ目覚める。大したことないと思う間もなく強まり完全撤収、東屋の軒下へ退避。歌子女史へ会いにゆくこともできなくなった。
以降、遠い稲光ばかりだった雷も少し恐怖を覚える程度に接近して雷鳴を轟かせたり、雨量も心細さに比例して増したりと、容赦なく絶望の底へと突き落とされていった。もはや、ひたすら夜食を啄みながら始発列車の時分まで待つのみだった。ようやく歌子女史の顔立ちが見えるほどに明けたものの降雨は一向に衰えず、また雨傘を忘れたことがその時点で発覚し、失意の濡れ鼠退却す。早朝曇天ぐらいならせめて本丸に登ろうとも思っていただけに残念だ。ただ、野外で無防備にも転寝する男を、一夜静かに見守っていただいたことは歌子女史に深く感謝する。