小牧山山麓の間々観音を敬遠して彷徨っていたら、ふと大口町へ迷い込んだ。案内板に従いたどり着いたのが堀尾跡公園というところ。
堀尾吉晴は地元丹羽郡の土豪出身で、豊臣秀吉に仕え日本統一の戦役で数々の武功を挙げた。その堀尾邸跡地とされる土地に、八剱神社と公園がある。また、吉晴の子、金助は18歳で父の戦役に参じる。母は金助の無事の祈願をかねて、当時、熱田神宮付近にあった東海道の裁断橋まで見送ったが、金助は手柄を立てる前に病死。天涯孤独となった母は、子の供養にと私財を投げうって、亡くなった直後と33回忌の2度、裁断橋を改修した。熱田裁断橋の擬宝珠に付けられた実母の銘文は、「日本女性三名文」として知られ数多くの物語が創作された。
五条川に架かる裁断橋(再現)。
金助と母の像。