(济源(Jiyuan)編1:愚公移山,汤帝庙,博物馆,延庆寺塔,济渎庙よりつづく)陽光に映える济源駅舎。深夜、列車が遅れているため暑苦しい待合室への入場を遅らせるアナウンスが広場に響いていたのを朧げに覚えている。昨夜疲労困憊でiPhone充電せずに寝てしまい、退房までの短時間しか供給できてない。
济源ツアー2日目
原城遗址
駅前広場の端っこ(天坛路沿い)に佇む史跡。庙街遗址とも称される。
原城は、夏王朝の都城の一つ。夏や商代をふくめ新石器時代から戦国時代までの4つの地層から、生活用具などの文化遺物が発掘調査で出土しているようだ。元来河南の地は古代黄河文明の育まれたところであり、殷都安阳や渑池の仰韶遗址、偃师の二里头遗址もそう遠くないので、地理的には何ら不思議ではない。いくつかの史書にもその存在が記されているという。
奉仙观
道教寺院で「观」がつくところと聞くと、すぐに开封の延庆观が思い浮かぶ。そして同時に、奇抜な装飾の楼閣があるものだと勝手に期待してしまう。ところが奉仙观は期待に反し、それらしき楼閣もなく侘しい造りだった。むしろ庙か祠と呼ぶべき小さな境内。とにかく期待した構造物がなかっただけで、济源で最も残念な景点となった。既にiPhoneはバッテリー切れのため、予定スポットで唯一画像がない。
轵城镇をめざして
ついに通信手段も現在地確認手段も、行程表や時計さえも失ってしまった。それでも脳に浸み込んだプランを自慢の方向感覚を頼りに遂行する。事前に調べた公交19路は昨日から見当たらないので徒歩を選び、鸿运楼交差点より文昌路をずんずん南下する。湨河を越えてしまうと沿道以外はほとんど未開発で、そこはさすがに县级市なりの小さな市街地であることがわかる。環状道路は早くから轵城近くまで周っているが、高層住宅もふくめ建設はまだまだ進んでいない。曇天と木陰の多い道は楽だけど、まばらな商店と単調な沿道風景は疲れを誘う。そうして、時間も距離感もいい加減6㎞くらい来ただろう、というところで国道がクランク状に折れた場所へ出た。ここで轵城镇には辿り着いたようだが、折り返す体力を考慮するとここから景点を探す余力は捻出できないと思い、やむなく引き返すことに。後から調べると、実は南下すべき道を誤っており文昌路ではなく沁园路だった! 道理で行けども行けども目的地に着けないわけだ。もしも沁园路を同じ距離だけ歩いていたら、ほぼ大明寺に達していたらしい。やはり道中の位置確認は大事だ。じつは文昌路上にもこの先が轵城镇中心部であることを示す図があって、信じ込んでしまったのも修正できない理由の一つ。ともかくアクセスを概ね把握しておきながら、2日間もあって郊外を充分に観光できなかったのは悔しい。再訪の機会を強く希求する。
湨河
”Juhe”と読み、蟒河(Manghe)とともに同市を流れる難読河川の一つ。往復10㎞近い道のりを酷使した脚で济水大街を歩くよりは、河岸の散策路を迂回するほうが癒されるだろうと思った。予想通り近年整備されたばかりの遊歩道が愚公桥手前まで続き、日本の河川敷公園と錯覚する。水源の意を都市の名とするだけに、河を大切にし共生する心意気が感じられる。
二日間の滞在を通じて、計画通りのスポットだけでなく歩きながら見所を発見するなど、想像以上に济源の魅力を楽しむことができた。蟒河沿いの公園と轵城镇の心残りを除けば、存分に巡れたといえよう。完璧に見尽くしてしまわないのも再訪の余地を残せていい。济源を河南最終踏破シリーズにとっておいて正解だった。谢谢、济源。
济源~洛阳
正確な時刻は分からないが、概ね昼過ぎを目安に移動開始。計画よりずっと早く移動するのには、時間だけでなく初めての宿泊先などへの情報収集すら叶わない孤立状態のためのゆとり確保がある。济源总站より洛阳までは20元。そいえば最近は人寿保险とかの領収票を渡されなくなったな。焦作のよりもずっと広いホールに利用客が集まり、改札まで暫し待たされる。ここで大型バスに乗り込んだのは10人に満たない程度だったが、ターミナルを出て間もなく鸿云楼前に停車し30分ほど客待ちする。軽食や一服のため一時降車する者もあったが、待機虚しく新たな乗客はなし。実はこの鸿云楼交差点南西角を通りがかった昨日や今朝から、停留する洛阳行きのバスには気づいていたがてっきり個人経営だと思い込んでいた。まさかターミナルを正規出発したやつの一時待機場所だったとはね。济源を出てからはどのように走ったか定かではない。路上では何人か乗降したが、途中の乡镇に寄った様子はなかった。
転寝から覚めふと気づけば、高層住宅の林立する起伏の多い郊外に到達している。そして、地下鉄建設と思しき工事真っ只中のダイナミックな下り坂に差し掛かったとき、心の中でアッと叫んだ。11年前に初めて洛阳を訪れた日、昼寝どきの公交で登った大通り(王城大道)ではないか。この急勾配のまま陇海铁路を跨いでしまうはずだ。地理感が鮮やかに過去の記憶と繋がって、一気に安心感がわいた。
予想通り鉄道を越えて下りきったところに、仏塔か楼閣のような大きな古風建造物がある。新スポットのようなので撮影できないのが惜しい。ここで運転手が「火车站行く人は降りろ。このバスは西关まで行く」という。どこまで乗せられても大体の勝手がわかっている私は司机に任せることにしたが、乗客の大多数が火车站行きだと知ってか、市街を少し迂回して駅前の中心站へ入場した。10年ぶりの洛阳中心站は、道路拡幅のため縮小気味だが往年の姿はなんとか保っていた。
济源編 完
(洛阳再訪へつづく)
map:济源奉仙观