南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

开封刘青霞故居

前回2017年帰郷の折にバス車窓から目に留まりマークしていた。解放路中段(土街段)、东司门と学院门の間に位置し、繁華街と古い住宅街(胡同)のちょうど境目にあたる場所だ。ラッシュ時は人民の横断が激しく、解放路の中でも最も渋滞の発生しやすい区間でもある。かつてこの辺りの沿道(とくに東側)は個人経営の小さな商店が並び、胡同はその後ろに隠されていた。それらが一気に片づけられ、伝統的価値の高い造りの故居が露わになった格好だ。その更に奥には生活臭の濃い現代庶民の胡同*1が続いている。この一般民家群の処遇は不明だが、胡同に刘家の名を冠しているぶん今後の生存率は高そう。
刘青霞とは、辛亥革命における女性活動家の一人だそうである。安阳出身で开封尉氏县の有力者に嫁ぎ、同地に河南省唯一の女子校「华英女子学校」を創立した。民主革命活動の中で1907年には日本へも渡り、東京で孫文ら同盟人士や学生とも交流している。
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中国大陸の当時でいえば内陸の地方から、母国の変革にかくも情熱を注ぐ志士、しかも女性活動家が現れていたとは、結構驚きである。
資料館は入場無料で身分証を改札機に通すしくみ。また志士の故居であり、政治史や革命史を学ぶ教育拠点に指定されている点から考えても、ちょうど解放路を挟んで対面に位置する刘少奇陈列馆とセットなのではないかと推測する。同じ刘姓だから親族か関係者だと思ったくらいだ。なお、刘少奇は国家主席まで務めるも文革による迫害で非業の死を遂げ、のちに名誉回復された政治家である。その最期の地が开封であることに因み、資料館が設けられている。
开封に所縁のある偉大な人物を学ぶことも大事だが、観光開発によって明るみに出た貴重な四合院を鑑賞できることにも非常に意義がある。
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敢えて駐車場を手前に入れて撮ったのは、沿道の商店街を犠牲にした結果陽の目をみることになったという経緯を表現するためである。市民生活が圧迫されるのは望まないが、観光開発のすべてが罪ではない証しでもあろう。郷土志士を知らしめ、保存状態の良い伝統住居を公開する為として評価はできる。

(map:开封刘青霞故居)

*1:北土街刘家胡同というらしい