南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

开封 北宋・东京外城遗址公园

大梁路と夷山大街の交差点北東角、かつて开封星纪念碑のあった場所から北へ細長く延びる公園。昨日公交で通りがかって記念碑がなくなっているのに気づき仰天。さっそく造り替えられたばかりの公園を見に来たわけだ。
jaike.hatenablog.jp
てっきり公園内に移設されたものと思いきや、ぐるり見渡してもそれらしい影はなし。市内の片隅へ追いやられたか。科学館でもあると相応しいモニュメントであったが。

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幾重にも重なる城壁を模したような造り。城壁を思わせる構造物は大梁路に面した部分だけで、その後ろはごく普通の遊歩道になっている。隣接する団地からも出入りできる。ただし、若干道路面よりも小高く造られており、遺構を盛り土状に再現したともいえる。
ところで、宋代の开封(东京开封府)の城壁は現在の外环路に該当すると聞いたことがある。その規模と位置関係から考えると、この遺跡は明清城壁よりは外側だが外環の金明大道よりは内側過ぎるのではないか、と疑念を抱かずにいられない。そんな折にふと、何年か前に聞いた开封各代における城壁の遺構発掘に関する話題を思い出した。(記事が書きかけのまま放置されていたので、ここに編集する。)

开封新郑门遗址

Facebookで知人からこんな記事を紹介された。
www.chinanews.com
摞(luo)は“積み重ねる、積み上げる”という意味で、「城摞城」とは各時代の都城の遺構が何層にも積み上がっている状態のことをいう。わが第二の故郷である河南省开封は、その都(東京)であった宋代より清代に至るまで確固たる都城が築かれていた。幾重にもわたる城の痕跡が掘り出されて現れるにつれ、それが悠久の歴史を誇る中国の中でも類稀なる奇観として映るのであろう。

新郑门(Xinzhengmen)という地名はどこかで聞き覚えがあったような気がするが、正確な位置を知らなかった。似たような地名として开封大学付近を「正门(Zhengmen)」というのは知っている。大学の正門のことではなく、新市街が造られる以前から正门という地名があったのだ。
baike.baidu.com
当時必死に調べた結果、新郑门は概ね現在の正门(村)地区にあたることがわかった。

さきの遗址公园と新郑门は、夷山大街に沿って南北に繋がっている。百度百科の文面にも、新郑门も外城の一部だとある。遗址公园の場所は発掘調査結果に裏打ちされているといえるようだ。きっと日本の城の外堀・内堀のように、都城内で幾重にも石垣が築かれ堅固に守られていたのだ。都であり、且つ城であることの証しといえよう。それを忠実に表現したのが公園のモニュメントなんだね。

余談だけれど、出発前に取り上げた开封大学晋安路キャンパス北半分取り壊し、新校区移転によるキャンパス縮小と解釈したが、実は外城の発掘調査と公園延伸が大義なのじゃないかと。
jaike.hatenablog.jp
まだまだ市民の憩いの場に終わらなさげな予感あり。

(map:开封 北宋・东京外城遗址公园)