黄河の流れ、じゃない、黄河游览区検索の流れで書こうと思ったんだけど、郑开城际铁路延伸区間の記事でひょっこり出てきてしまったので、いま取り上げておこう。
jaike.hatenablog.jp
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上の地図でわかるように、开封市外环路の北東方向約2㎞の铁牛村にある。官渡古戦場では右往左往する私も、铁牛村铁犀はピンポイントで指せる。近年は北東郊外も区画整理と宅地造成が進み、てっきり铁犀も波にのまれたかと思いきや、まだ開発からは辛うじて外れていた。
镇河铁犀_百度百科
明代に河南巡撫(地方長官)于谦により、黄河の氾濫を鎮めるために建立された。同形のものが柳园口の黄河游览区にも鎮座する(铁牛村の複製といわれる)。
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尤も、百度图片で铁犀を検索すると3種類の画像が挙がる。亭子に覆われているのが本家铁牛村、野ざらしで近年は薄い羽織ものをかけられているのが柳园口、そしてもう一つ小綺麗な川岸に座っているものがある。周知している前者2つとは全く異なる環境から、これは郑州花园口に所在すると判明。花园口は、知っていても行く機会のなかった近場観光地で、郑州市街のほぼ真北に位置する游览区。炎黄二帝像などのある黄河游览区よりも下流になる。たしか大坝(大堰)とかがあるところと認識しているのだが。
この花园口には、日本人も関わる暗黒な歴史がある。日中戦争中、日本軍の侵攻を阻止しようと国民党軍が引き起こした焦土作戦、黄河決壊事件(花园口决堤事件)だ。开封に侵攻した日本軍が郑州へ進撃しようとするのを食い止めるため、黄河花园口をわざと決壊させ一帯の農民を犠牲にしてまで氾濫災害を引き起こした。そのときの洪水だけでなく、黄河の河道が一時変わったり後に干ばつを起こすなど流域の環境破壊と民生破壊につながった。
黄河決壊事件 - Wikipedia
なんだか日本昔ばなしの「三枚のおふだ」で、やまんばに追いかけられた小僧さんが和尚さんにもらったおふだを投げると、やまんばの目の前に大きな川ができました、みたいな話だよな。しかし、そんな人為的な氾濫を起こされた場所に铁犀など祀られてもな、サイも良い迷惑だわ。
あるいは、当時事件を起こしたのは国民党政府軍であって現政権の共産党に非はなく、単なる鎮魂と慰霊の象徴なのか。でもたぶん、日本軍による農民救出劇を共産党ゲリラの美談にすり替え、生活を破壊された河南人民の国民党政府に対する不満や反感は、のちの国共戦で解放に寄与したのなら、便乗ともいえるよな。やっぱりサイは利用されてる。
追記:黑岗口にも居るようです。
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もうマスコットにして、黄河遊覧区への道路案内板に「サイちゃんマーク」とか作ったらどうかと。