愛知環状鉄道には長らく1日フリーパスがなく、また普通運賃も高めなことから乗り遊びは敬遠されてきた。このほど、土日に乗ろう 秋の愛環(Aikan)1dayパス(下線部は季節により変動)が発売されたことから、悲願の“I Can Play !”と相成る。とはいえ、学生時代にしばしば利用した瀬戸市内区間を除くと、豊田・岡崎方面は意外とめぼしい降り鉄スポットがない。これだけは、という箇所をピックアップ。
有人駅でしか発券してもらえないので往路は高蔵寺を回避し、名鉄瀬戸線で瀬戸市駅へ。最初リニモも乗りつぶせる八草で組んだが、時間と運賃がかさむだけで却下。久しぶりに乗る瀬戸電急行の車窓は、喜多山駅の高架化工事など激変を感じさせる。
1000円の1dayパス購入。岡崎⇔高蔵寺と書かれた飾り気のないきっぷで、改札機に通すと「定期券」と表示される。なるほど、期間1日の定期券か。車両は相変わらず、青帯と万博時に導入された緑帯の2種類。山口駅から先は未知の区間で新鮮味がわく。複線化はまだまだ未完だが、並行する用地の確保された区間が目立つ。八草駅を発してすぐの高架下に見えた八柱神社というのがちょっと気をひき、同駅起点にしなかったのを一瞬悔やんだ。
保見
古城跡と飯田街道を散策したくて真っ先に選んだ。
歴史と桜道をめぐるコース(保見ケ丘・保見・田籾町エリア・基本)
これに学園・里道と飯田街道めぐりコースの飯田街道筋を合わせて貝津駅まで歩く。
高架駅の薄暗がりにひっそりと展示された車掌車。ここに移された経緯は不明。
保見ケ丘に向かってぐんぐん登っていく。古賀池を前に県道を離れて下り始めると、蓮池の傍らにこんもりと見える小山が伊保東古城址らしい。池のふちから登れるのかと近づくも、道らしき道なし。また古城と示す札すらない。上は中学校グランドらしく、石碑は同校門前にあるという。
保見は、このような砦になりそうな丘がいくつも散在するところ。いつの間にか愛環のトンネル上を歩いていることにも気づかず。少しでも並木道に入ると涼しい。東古城が物足りなかったので、事前にチェック外だった射穂(いぼ)神社も脇道ながら立ち寄ってみる。石段でなくコンクリート舗装の参道は長い。丘の上の小さな境内。
鎮守の森から集落まで物凄い急坂を一気に下り大鳥居にて振り返ると、遠目にみる神社の小ささに驚く。伊保西古城へは散策道がついており、標高119mの丘陵上に石碑と遺構が残る。10分足らずで登れる丘の標高が120mってのも、もともと小高い土地なのが窺える。東古城と違って、こちらは史跡整備されてる。
貝津までの時間を考慮しながら田園風景を楽しむ。
風情ある飯田街道を狙ったのは間違いで、交通量が多く歩道も断片的な県道55号線を歩かされるだけだった。まぁ瀬戸街道と似たようなもんか。貝津駅での乗車時刻に間に合わせるか1本遅らすかも迷いつつ調整しつつの行軍だった。貝津町にさしかかり、やっと街道らしい脇道にそれることができて暫し安らぐ。旧道筋に面する貝津神社。
貝津駅着と電車入場はほぼ同時。1本ホームでよかったわ。も少し先の伊保町に足伸ばしてたら街道情緒を味わえただろうか。
岡崎
まずは乗りつぶし。チャリでは遠征したことある豊田市街を突っ切る。四郷がアナウンスされると、「~慎め」と続けたくなる。新豊田駅では改札口から回廊状の通路が伸びており、ペデストリアンデッキで名鉄豊田市駅と接続されているようだ。この辺の名鉄三河線との位置関係は混乱しやすい。春の渥美チャリン行で通った中岡崎駅からは岡崎城が望める。昼はここの八丁村で摂る案もあった。
終点岡崎駅では東端の0番線に着くが橋上駅なので直に東口へ出られない。TOICAの乗換改札機をスルーして、JRとの共用改札に1dayパスを通す。目線近くまで高さのあるデッキフェンスのため広場を見下ろせず、どこをどう歩いているのか全く見当つかない造りは宜しくない。さっさと地上に降り立ったほうが賢明だと思いながら、どうにか出会いの杜公園に。
ドミー*1で弁当を買い、公園で食べて折り返し。
大樹寺
徳川家(松平家)の菩提寺として知られる。「だいじゅじ」が一般的だが、道標などでは「だいじゅうじ」と刻まれている。大門駅より徒歩15分ほど。食後なのでのんびり歩く。平坦な道のりだったのが寺目前で登り坂に。この門前橋(柿田川)から多宝塔を望むアングルが良かった。
大樹寺本堂は幕末の出火で全焼し、倹約の下に再建された。いっぽう、山門や多宝塔は300年以上前に建立されたもので、とくに寺内最古の多宝塔は1535年松平清康公により建立され国の重要文化財指定。本堂の阿弥陀如来像を拝観し、有料の宝物展示はパス。代わりに多宝塔と、松平八代墓所を参拝。天然記念物の椎は見落とした。
また、大樹寺山門前より総門(現・大樹寺小学校南門)を通して、岡崎城天守閣を一直線に望むことができる(ビスタライン)。
寛永18年(1641年)、徳川家光は家康の十七回忌を機に、徳川家の祖先である松平家の菩提寺である大樹寺の伽藍の大造営を行う際に、「祖父生誕の地を望めるように」との想いを守るため、本堂から三門、総門を通して、その真中に岡崎城が望めるように伽藍を配置した。これが現在に続く眺望景観の由来とされる。(Wikipedia 大樹寺)
好天に恵まれ、肉眼では天守閣を確認できる。画像ではこれが限界。正確にまっすぐではなく総門フレームの右寄りに収まるので、山門からの角度次第では見えないかも。しかし徳川家もよくこだわったものだし、後世まで脈々と保全されているものだよ。
名鉄挙母線廃線跡
名鉄挙母線は、岡崎市の岡崎井田から豊田市の上挙母までを結んでいた路線(岡崎井田~大樹寺は岡崎市内線)。三河鉄道によって開業し、名鉄に吸収合併後1973年に全線廃止。一部は国鉄岡多線(現・愛知環状鉄道線)建設用地に転用された。この廃線跡の一部が遊歩道として整備されていると知り、歩いてみることに。
三河豊田駅(挙母線時代はトヨタ自動車前駅)から岡崎方面へ、矢作川渡河手前の新東名高速道路に行き当たったら折り返そう。ちょうどその辺りに渡刈駅跡があり両駅間は約3㎞だ。
三河豊田は本旅初めての中間有人駅。トヨタの本社工場を背にした駅前からしばらく高架橋に沿っていくと、細い遊歩道に入れる。国道などを横断しながら住宅地の中を進む。廃線跡の遊歩道だけに、島式ホームをイメージさせるような趣向がチラホラ。そして、岡崎方面へ緩やかに下っている。住宅地が途切れるころに周りを見回すと、軌道線だけが小高い位置をたどっているようなちょっと不思議な地形が浮かび上がった。
全線単線のはずだが複線化用地のような側道が並行する箇所もある。そんな不可解な広がりの一つが、渡刈駅との中間に一時的に存在した鴛鴨(おしかも)駅跡らしいと後に知る。平坦な田園地帯に出ると軌道を見失いそうになる。あと、おやつを食べたいが貴重な水場の蛇口が外されているのには閉口した。
ようやく見えてきた、渡刈駅を模した休憩所。
すごい、架線柱まで再現してある! 石積みのホームや簡素な待合室も当時っぽい。蜂に付きまとわれながら一休みしていると、ウォーキングやジョギングを楽しむ人々が頻繁に往来する。川や高速で寸断されているのがまた適当なコースになってるんだろうな。三河豊田駅から片道40分程度だったので、このまま折り返せば予定より1本(15分)早い電車で帰れる。いい読みだったわ。
ところが、高蔵寺で乗り継いだJR中央線普通は、先行する快速の春日井駅での車両点検により神領から10分ほど遅れが生じた。まぁ快速に接続できてたら不満もあったろうけど、普通電車なら遅れても知れてる。思ったより歩いたけど、千円で愛環乗り遊び楽しめて満足。
終