南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

名鉄新春岐阜の旅

今年の年末年始休暇はいささか中途半端で泊り旅を組みづらかったので、近鉄3日間フリーパスなど惜しまれるも断念。その代わりに、ちょうど10年ぶりとなる名鉄新春フリーきっぷを活用した日帰り旅を敢行。
jaike.hatenablog.jp
名鉄迎春1DAYフリーきっぷ(2000円)は、昨年末までの前売り限定で1月10日まで利用できる。上の近鉄フリーパスが3日間で3000円なのを考えると割高もいいとこだが、あまり気にしない。最近名鉄も暇を見ては近場をちょろちょろしているが、今回は割と行けそうで行けないでいる岐阜南部へ照準を合わせる。「岐阜の旅」ってなんだか大雑把な命名だけれど、岐南っていうと狭小な感じがして岐阜市各務原笠松、羽島を包括するようには響かない。苦渋の選択というところだね。あと、名鉄岐阜は固有の駅名なので被らないよう新春を間に挟んだ。
きっぷは先月19日に購入。といっても本券は引換券で、乗車日に出札係員より磁気きっぷに交換してもらう。転売防止なんだろうか。交換時にミューチケット割引券2枚も付与される。てっきりミューチケット自体がついてきたものだと思い込み、最後の中部国際空港行き特急に乗ったときガラ空きの特別車を見て移動しようとしたら、券に180円引きと書かれてあったのでやめた。たぶん半額になるのだろうがクーポンとしてはケチだよな。それでは本編へ。
本旅のスタート地点は上飯田駅。実家から歩いていくつもりだったが、寒さと時間に負けて地下鉄を使う。平安通から犬山まで直通する電車を上飯田で1本見送る間に、発券手続きをする。小牧線は刻々と変わっており、島式を廃して対面式仮設だった味美は堅固なホームに整えられた。春日井にも導入されるのだろうか。牛山~間内に側線が敷かれており線路付け替えでもするのかと思いきや、一時期車両解体が行われていた名残だそうだ。地下の小牧駅から地上に出た瞬間明るく、「あれっ、桃花台線は?」と思ったら小牧原手前まで撤去が進んでいた。柱の老朽化や劣化が進行しているだろうから倒壊する前に片付いてほしい。まだ始まりだというのに転寝しながら犬山へ。

手力

各務原線鵜沼宿より先は初めて。鵜沼宿から次の羽場へは名鉄最大の急勾配とされる登り坂。中山道鵜沼宿からの帰り道にもこの勾配と台地の地形を見ているけど、一番の急坂だとは思わなかった。また同線には苧ヶ瀬や三柿野など変わった駅名が目立つ。市民公園前なんて電停みたいなのもある。そんな奇異な駅名の一つ、手力(てぢから)で最初の途中下車。
各務原線中山道と並行している。鵜沼辺りでは線路の北側だが、岐阜に近づくといつしか南側を通っている。その旧道筋を越えた先の境川沿いにある、手力雄(てぢからおお)神社

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手力雄神社

飛騨守神社とされ、春の大祭では火祭りの神事が行われるという。なお、ここは岐阜市手力雄神社だが、隣の各務原市にも同名の手力雄神社がある。近接しているものの両社に関係はないらしい。
西へ延びる参道を中山道との分岐点まで歩くと、三の鳥居(御旅所)二の鳥居。一の鳥居は美濃赤坂にあったとされ、中山道が当初赤坂から鵜沼まで舟航だったことの名残という。

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手力雄神社三の鳥居と、二の鳥居(中山道合流地点)

そんなに回り道してないと思ったが、手力駅まで戻るのに若干小走りを要す。

鋭角構造をした名鉄岐阜駅を初めて利用。加納を歩いて再び当駅から乗るので、あとで慌てぬよう中央改札口周りを探索しておく。

加納

まるで瞬間移動したみたいに中山道と再会。

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茶所駅前の中山道

江戸より53番目の宿場、加納宿を歩く。画像の県道181号線こそ交通量多く喧騒だが、鮎鮓街道とともに新荒田川を渡ってしまえば閑静な旧道筋となる。道標や古い商店などがポツポツ残っていて、加納駅でなく茶所を起点にして正解だと思った。

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路傍の道標(右 岐阜・谷汲、左 西京)

加納城大手門跡にて一旦中山道を離脱、加納城へ寄っていく。岐大教育学部付属学校前を通ると、石垣が見えてくる。

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加納城跡(本丸石垣)

東向き凸型をした石垣の中は公園になっている。関ケ原合戦の後、岐阜城を廃して代わりに築城された平城。現在はすっかり埋められて跡形もないが、いくつもの大きな堀に囲まれた「水に浮かぶ城」であったとされる。加納宿は城下町としても発展し、中山道でも有数の大宿であったという。
本陣跡などを期待して大手門へ戻り街道歩きを再開したところ、目印となる案内標が立ってるだけで屋敷も面影もちっとも残ってなくてガッカリ。ただ、二文字屋という老舗小料理店の前に開店を待つ客が列を為していた。かつては御勅使、大名高家の御飛脚使宿だった料理店で、現在はうなぎ(ひつまぶし)のお店のようである。
宿場町がちょっと呆気なかったので、加納天満宮には参詣者が長蛇の列だけど珍しく時間いっぱい並んで参ってゆく。結局正殿を拝むのに25分はかかった。ちょうど腹減った。

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加納天満宮

JR岐阜駅前に静態保存された名鉄モ510形路面電車を見に行きたい衝動を抑え、名鉄岐阜駅前のすき家で昼食摂ると12時半の特急にピッタリ合う。笠松に特急が停車してくれるのは有難い。

竹鼻

本旅の主旨は、竹鼻線に乗ること。昨年、開業100周年(1921年、前身の竹鼻鉄道が新笠松竹鼻を開業)を迎えたことが報じられてた。2001年の江吉良~大須廃線のときは直後に廃線区間を自転車で訪れ、まだ仮閉鎖されたばかりの線路や駅を辿った思い出がある。それ以後の廃止はないが営業区間を乗ったことがなく、羽島市中心部の竹鼻や珍駅名の須賀(すか)*1などは興味あった。
まずは新羽島まで通し乗り。2両編成、単線、毎時4本、数少ない交換駅では必ず行き違いする。西笠松と柳津の間で高架橋を下ってすぐのところにホーム痕がチラと見えたのは、東須賀(すが)廃駅。柳津駅を発してすぐの踏切に「駅舎跡」の案内標が見えたので調べると、2008年までカーブ上の同地点に駅があった模様。また、柳津付近は細かなカーブが多く民家の軒先が迫るため見通しが悪い。先頭で眺めていると面白いけど。通過する新幹線の見える終点新羽島をそのまま同じ電車で折り返し、羽島市役所前に下車。
ホントは加納天満宮がそんなに混んでなければ30分早く竹鼻に来て、うき與という店で羽島特産のレンコンが入った「輪中焼きうどん」を食べるつもりだった。まぁ正月3日は飲食店の開閉がビミョウだし昨夜の思いつきなので諦めはつく。
一番訪れたかったのが、佐吉大仏。竹ヶ鼻村出身の聖人、永田佐吉翁によって建立された青銅の大仏。佐吉翁は地元で数々の善行や功徳を重ね、人々から尊敬を集めたという。

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佐吉大仏

佐吉大仏(大仏寺) | 羽島市観光協会
仏様を覆う御堂は濃尾地震で一度焼失し、1962年に再建された。事前に申し込めば胎内に入ることもできるそう。仏様の周りには佐吉翁の生涯を説く絵図などが展示されている。また、昭和11年に発行された色刷りの佛佐吉双六が昨年復刻版となったので、記念に1枚貰ってきた。

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より間近で見る大仏像

頬がふっくらとして柔らかな顔をしている。

青山スクエアの佐吉翁像

ここからは以下の散策マップを参考に気まま歩き。
美濃竹鼻まちなみルートマップ

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身代わり地蔵と、石山観音

青い銅板葺きの美しい鐘楼門がある、聞得寺

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聞得寺鐘楼門

名古屋の四間道と同じ屋根神様ののる、千代菊酒造店羽島市の花は美濃菊だとマンホールに書いてある。

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千代菊酒造店

藤の花で知られるという竹鼻別院。人けないけど門前町の雰囲気がちょっと良かった。

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竹鼻別院(山門と門前町

昭和4年?に架けられた、その名も昭和橋。この逆川はかつて竹鼻町の舟運を担っていた。隣の川町橋からも眺めてみる。

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昭和橋と、逆川
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町を横切る円空ロード

また、町の至るところに山車の収納庫が建っている。大祭では相当な数が曳き揃うだろうな。
亀屋にも屋根神様あり。神棚が開いていたので御神体を写さないよう角度を変える。

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亀屋(商家)

時間は余裕あったけどあちこちクネクネ歩いたので本覚寺で終いにする。本堂の天井画は見なかった。

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踏切傍らの本覚寺

昔、寺に隣接して本覚寺前という駅があったことを帰宅後に知る。Google mapで見ると寺院の外壁に沿ってプラットフォーム形の石積みが残る。この踏切では撮り鉄しようと思ったので、これも意識してたら良かったなと。

笠松

竹鼻から乗って西笠松で下車。「輪中焼きうどん」は断念したが、お土産も昨夜目星をつけたものがある。今から83年前、笠松町内の民家に落ちてきた隕石(天然記念物)をモチーフとした、笠松隕石最中だ。
www.gifu-np.co.jp
昨秋発売されたばかりの最新名物だ。笠松町歴史未来館の開館5周年を契機に新たな町おこしとして提案されたという。
道中の菓子屋は結構営業していたので大丈夫だと思った。といっても隕石最中を製造販売している菓子店は現在6軒しかなく、その殆どが月曜定休としている。唯一この西笠松駅に近い松栄堂本舗だけが第2・第4月曜定休ということで、今日はセーフと踏んできた。案の定松栄堂さんは営業していて、店頭に隕石最中のポスターも掲示してある。ところが、発売直後の売れ行きが良かったのか、年初分を用意してなかったのか、10個入りパックは品切れ、バラ4個入りも僅かに3パックしか残ってなかった。脇に「隕石ビスケット」みたいな商品も並べてあったが、その最中3パックを買い占める。竹炭を練りこんだ真っ黒な皮につぶあんの詰まったサイコロ型の最中である。

笠松隕石最中

こんな時期に買えただけでも大満足。意気揚々と笠松の町散策に移る。歴史未来館をはじめ、有形文化財に指定された住宅などは休館中。目ぼしいスポットを拾いながら逆L字型に笠松駅へ向かう。
外観は立派だが山門を覗くと本堂の土台しか残っていない、笠松別院

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笠松別院

産霊神社とは名の響き的に子宝や安産を祈願するのだろうか。

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産霊神社

美濃郡代笠松陣屋 県庁跡はほぼほぼ碑だけで拍子抜け。国の登録有形文化財和田家住宅は、北面に防火壁を設け裏の土蔵は景観を創出する。

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和田家住宅

ここに限らず笠松の古い中心部全体が町並みをよく残している。ちなみに、木曽川の湊から町を南北に御鮓街道(岐阜街道)が貫いており、本旅で訪れた場所は名鉄以外でもつながっている。
木曽川堤防の土手の上にある、へそ塚(魂生大明神)。へそ塚に気をとられて見落としたが、魂生大明神の御神体は男根だそうだ。

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へそ塚

この土手の反対側が笠松競馬場。つまり競馬場って木曽川の洗堰にあるんだね。

岐南

ここは日帰りスパに寄るだけ。岐南駅ほぼ目前の湯処美濃里。久しぶりにちょっとマジに歩いた脚を癒していく。
yudocoro-minori.com
年始の混み具合には小狭な脱衣場、湯は銭湯並みの熱め。ぬるかったのは露天のジャグジーぐらいで、湯上りの火照りを抑えるのに一苦労。でもまぁ駅近ということで1時間でもゆっくりしていける。
ちなみに岐南駅名鉄でも数少ない、通過線と待避線を備えた構内の広い駅。反対ホームがひどく離れて見える。

おわりに

笠松で特急に乗り換えて快適に金山までスッ飛ばした。冒頭に記したとおりミューチケットは無料券じゃなかったので、ガラ空きの特別車には移らず。たまには逐一運賃を気にせずフリーきっぷで気ままに名鉄を乗り遊ぶのもいいよな。近年の正月は近鉄傾倒ぎみだったので、名鉄見直すいい機会になった。残るは尾西線三河線豊田線蒲郡線。どうプレイするかな?

レイルラボで見る今回の旅程

*1:外れくじを意味するスカを連想させる。一時期駅名板に「ハズレ」と落書きされていたらしい