南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

信越の旅 2:上越

信越の旅 1:中越よりつづく)
7時、宿の朝食をいただく。もともと予約サイトでココを見つけたときは2食付きで泊まるつもりだったが、いざ予約の際には同プランが満室のため朝のみを取った。新潟産コシヒカリの和朝食。アルミホイルにのった目玉焼きは初めて見た。
玄関に乾かした折り畳み傘を忘れず収納して、8時出発。終日雨に見舞われた昨日よりはずっと回復するも、朝は肌寒く日中もしばらく俄雨など不安定な天気。

信越線&トキ鉄

昨日快速で駆け抜けてきた信越本線普通列車で柏崎まで戻り、待望の日本海沿岸を伝って親不知を目指す。前川駅を出て間もなくの信濃川は、列車が心もとなく感じるほどの川幅に圧倒される。越後岩塚駅から山上に見える真っ赤な社殿は、寶徳山稲荷大社らしい。今日は祝日に挟まれた月曜だけに、通学する高校生が車内を占めている。途中の北条駅は「きたじょう」と読む。そいえば戦国史ゲームやってると、武蔵国の北条(ほうじょう)家でない北条家が上杉氏に臣従している(紛らわしいw)。この辺りが地盤なのかと知る。
きのう越後線からは全く望めなかった日本海、柏崎を発すると間もなく目に飛び込んでくる。しかも晴れ間に群青が鮮やかだ。とくに海岸線とホームが重なったように見える青海川駅は絶景で、窓ガラス越しながら撮ってしまう。

青海川駅日本海

海岸ギリギリをゆく車窓は昨夏の紀勢線にも重なる。紀伊半島ほど入り組んではいないが、日本地図でイメージするほど滑らかな海岸線でもないんだな(とくに柏崎寄り)。そのうち、浜風に煽られず安定した速度を保つためか、防風柵が視界を遮るようになり些か残念。柿崎からは海岸線をも離脱。
宮内より直通列車1時間半で直江津。ここからは北陸新幹線開業と同時にJR北陸本線第三セクターへ転換した、えちごトキめき鉄道(トキ鉄)日本海ひすいラインへ乗り継ぐ。信越線を降り立ったホームに停車する妙高はねうまラインと異なり、ちょっと駅外れの1番線まで移動距離があるうえ1両編成の気動車で席争奪の憂き目に。平日なのが幸いして、山側の1列シートを獲得。信越線と同じ海岸沿いをゆくも、長いトンネルが連続するように。ついにはトンネルの途中にある駅も(筒石駅)。列車が接近すると風圧が強いため、乗降時以外は狭いホーム上にいてはならず待合室との間に頑丈な扉がある。紀勢線のように小さな集落を点々と結ぶような路線に、並行在来線を三セク化された訳が分かる。昨夏の「信濃路の旅」で当初計画に上った大糸線との交点、糸魚川まで来ると親不知はもうじき。いったん親不知駅を通り過ぎて、つぎの市振へ。この変哲もない無人駅が、えちごトキめき鉄道とあいの風とやま鉄道の境界駅であり、えちごツーデーパスのエリア西端なのだ。短時間で折り返せる(直江津行きがスグ来る)と知り、足を延ばした。

振り返れば、親不知

ふたたび長いトンネルを抜け、あらためて親不知に降り立つ。

親不知に到着

日本海を撮り入れたくも、北陸自動車道国道8号線の海岸高架橋が邪魔をする。この光景、富山の新湊大橋に似ているな。

親不知

古くから交通の難所として知られる、親不知・子不知越中国越後国を往来するには必ず通るが、海岸線に沿った急峻な断崖の下に狭い砂浜しかなく命懸けの道だ。伴って歩く親は子を、子は親を顧みる余裕もなく、我が身を守ることしかできない。そんな意味だったと思う。実際には旅人たちは、打ち寄せる波にさらされながら崖を伝ったり、波間を見計らって砂浜を走り抜けたりしたようだ。近代になって山側を国道や北陸本線が通るようになり、断崖絶壁も難所から景勝地へと移り変わっていった。
高架橋の喧しさと裏腹に、親不知駅前の国道8号線旧道は閑静だ。ちょうど駅を境に糸魚川方面が子不知、市振方面が親不知となる。国道に合流すると、道の駅親不知ピアパーク*1。親不知散策の前に腹ごしらえしてく。レストピアの店頭に掲げられた「ひすいラーメン」に魅かれるも、たまたま店の事情で販売中止中だったのでたら汁定食に切り替える。

たら汁定食

サンプルより質素に思えたけど、逆にたら汁をじっくり味わえてよかった。直球「海の味」。また、滅多に食べられないワラビの小鉢も嬉しい。
さあ、いよいよ天嶮をめざすぞ。基本的に国道8号線を辿っていけば、断崖を望める展望台や散策路に着けると考えていた。100メートルくらい旧道をなぞったのち、国道の海側についた歩道を悠然と進む。私のほかに家族連れが一組、同じように国道を辿り始めた。

めざせ、天嶮

ところが、
親不知IC出入口を過ぎたとたん、歩道がぷっつり途絶えた。大型トラックや行楽の車が激しく往来する国道へ残酷に投げ出されることに。既に歩道のない山側を家族連れも歩いているので、私も果敢に海側のまま白線より外側を猛進してやる。ふいに山側を走る(富山方面へ向かう)大型トラックが徐行しながら、「そっち側歩いとったら轢かれるて!」と怒声を浴びせてきた。いや、歩行者は右側通行で間違ってないし、カーブでインコースになるときは向かってくる車に注意して進むから大丈夫だろ、とサイドミラー越しに睨み返してやる。いつしか家族連れも消えており、あのドライバーにどやされて引き返したのかも。あるいはどこかで安全なハイキングコースの入口を見つけたのか? 私もやや不安を覚え始めたころ、海岸へ下りるだけの脇道を見つけた。とりあえずキープしておいて国道をさらに行くと、ついに!ロックシェッド型トンネルが現れ、さすがに端を歩けないと断念。北陸道北陸本線(現ひすいライン)が一堂に交差するトンネル付近で側道ないか右往左往。傍らに、

廃トンネル

反対側の光が小さく見える。通り抜けたいが暗闇とロープが阻む。因みにこれは、旧北陸本線大崩隧道だそうで、今立っているのは信号場跡だそうな。
さきの海岸に下りる未舗装道路から、天嶮方面を望む。

彼方に望む親不知

足場の悪い微かな踏み跡を試行錯誤して浜に下りたち、まさに古人のごとく崖下の細い浜辺を進んでみる。砂浜というよりは、白い丸石などがゴロゴロし革靴には過酷な浜だ。消波ブロックを隔てて日本海に接し、我ながらなんたる冒険をやってんだ、と。しかし格別な想いをもってやっとこさ訪れただけに、理想の親不知を眼のあたりにするまでは決して諦めるわけにゆかない。山肌から破水して海へ注ぐ小川を越えたりして懸命に突き進むも、とうとう消波ブロックだけの岸になり完全に望みは絶たれた。

天嶮めざした、努力の道のり

振り返ると、これっぽっちかよ。ちなみにこのまま進めたとしても時間的に親不知駅には戻れず、市振へ抜けることになったろうな。結論として、親不知駅に降り立った人が親不知コミュニティロードを散策するにはタクシーで向かうしかない。自動車時代になった結果、古の難所をそのまま辿ることさえ叶わないとわかった。ちょっと残念で虚しかったな。
ひすいラインに間に合うギリギリまで浜を粘ったため、やや急ぎ足で戻る羽目に。しかもピアパークまで続いてると読んで暫し浜辺を行ったが行き詰まり、これを放棄するロスも生じアプリの所要時間と分刻みで競争の波乱付き。駅目前でパラッと俄雨に見舞われた。
帰りのひすいラインではロードバイクを携行する一団と乗り合わせた。直江津~市振間ではサイクルトレインを実施しており、9時から15時までの対象列車に限り自転車を持ち込める。車内はやや混み気味だが割とスマートに保っていた。

高田

直江津での乗継はおよそ1時間ある。上越市街散策か駅裏のD51レールパーク(有料)も検討したけど、妙高はねうまラインの接続が良かったので近距離の駅近で面白いところないかと探した。もともと高速バスの木田停留所が春日山駅に近かったことから、春日山城は遠そうだなとチェックしている。そこで見つけたのが、高田。直江津とともに上越市を構成する二大市街地で、駅と高田城址公園の間に城下町が残っているよう。直江津から2駅で接続良いとはいえ、滞在時間は僅かに30分余。城址行く余裕ない(そもそも月曜休)のは惜しいけれども、城下町をぷらりとする。

高田駅

ロータリーから真東へアーケード街が伸びている。この町の目当ては、宮内でもちょこっと見かけた雁木(がんぎ)。積雪下でも通行機能を確保する町家の庇造りのこと。城下町建設時に整備されたという上越市高田の雁木通りは、日本でも有数の長さを誇るらしい。

大町通り

断片的だった宮内と違い、これなら昨日の雨露も凌げたかも。生活空間に溶け込んだ風景。雪のある時に訪れると有難みが一層実感できるだろうな。

染物屋(中嶋染工場と、旧今井染物屋)

今井染物屋の雁木は「造り込み式」と呼ばれ、通路部分の上に物置や居住スペースがあるもの。比較的古い形の雁木とされる。

町家交流会館 高田小町

こちらは「落し式」と呼ばれ、平屋の雁木を母屋に付けたもので明治以降に造られた。雁木の町並みをちょっと覗いてくには適当な時間だったけど、町家見学や面白そうな世界館を置き去りにするのは勿体なかったな。

北越急行ほくほく線越後湯沢行き

明日、えちごツーデーパスと信州ワンデーパスを繋ぐために、ふたたび中越地方へ。といっても柏崎や長岡方面へは戻らず、山間部を一文字に横断して魚沼地方へ。
ほくほく線の、ひすいラインと似て長いトンネルだらけの直線的な高速運転は、心地よい転寝を誘う。どこか地元の愛環に走りが似ていると思った。今宵の宿泊地、十日町をいったん通り過ぎて六日町へ。こちらにもトンネル駅(美佐島駅)がある。魚沼丘陵を抜けると眼前にうっすら冠雪の山脈があらわれる。後々六日町の市街でも見えていたけど、撮る前に日が暮れちゃったな。

六日町

ほくほく線完乗以外の目的は、温泉。泊まる十日町にも温浴施設はあるのだけど、こちらのがより泉質は高いとみた。駅近くの湯らりあ 六日町温泉公衆浴場は、源泉かけ流しを楽しめる小さな銭湯。近年リニューアルしたばかりらしい。浴場も脱衣所もすこぶる狭いのに、地元民と立ち寄り客とが入り乱れて密を避けられない。珍しく購入したボディソープで身体を洗おうとすると、蛇口の湯が止まらないのに気づく。湯量が豊富なんだな、と使用後も出しっぱなしに。熱さは一般の銭湯と変わらないが、たしかに温泉の臭いがする。あぁ気持ちいい。
昼に食べそびれたせいか、夕飯はラーメンに固執していた。ほくほく線車中から六日町市内のラーメン店検索に没頭するも、決め切れないまま到着。居酒屋が目立つ駅前商店街を横目に、湯らりあを遠回りまでしたものの入浴前に見定めなし。風呂あがって改めて地図アプリを見ると、あさひ食堂という中華屋さんっぽい大衆食堂が目に留まる。全然ここでラーメンいけるやん。温泉浸かって血行よくなると見え方も変わるんだな。爽快感の中で素朴な醤油ラーメン美味しかった。
わりと意気揚々だっただけに、明朝食を買い求めた駅前SCのデリカコーナーがあまりにすっからかんで拍子抜けした。この時間ならまだ値引きセールの最中だろうに。やむなく市販の惣菜パンを充てる。

魚沼くるりんぱ

ほくほく線でまっすぐ十日町に引き返さず、上越線を長岡方面へ向かい越後川口飯山線に乗り換えて十日町。ちょうど平仮名の「むすび」みたいな形になる。本旅において越後川口は大事なキーポイントだし、明日朝一の十日町越後川口往復を省ける。そのかわり、昨日の小千谷越後川口は隣同士なので、上越線はこの1駅分乗りこぼした奇妙な格好になる。まぁ今度只見線乗るときに調整して埋めよう。
六日町駅ホーム上は高校生でいっぱい、車内は下校ラッシュで通勤電車のよう。外はすっかり真っ暗で米どころ魚沼を垣間見ることはできない。六日町発の時点で遅れていたらしく、4分あるはずの越後川口で地下通路へ下りて余裕こいてたら危うく飯山線逃しそうになった。

越後川口

中越上越を行き来する12時間の旅を終えて、十日町に到着。駅通りの緩やかな坂をのぼると、ホテルニュー十日町。既に風呂も飯も済み、速やかに眠るだけ。

信越の旅 3:飯山線へつづく)

*1:県外ナンバーの車が続々と訪れている